ハクチョウの脚と畑被害
血糖値を下げるために、運動をしなければと思い、近所の農家がアルバイト募集をしていて、電話をし、面接に行った。「応募の動機は?」「運動のため」、「これまでに農業の経験は?」「ありません」、「この仕事に思うことは」「食は生きる基本です」、「草刈りをしたことは?」「家の芝生を刈る程度です」。「将来も一緒に農業を続けていく若い人を求めていたんだが・・」と。私の住む街は、苫小牧ウトナイ湖から美唄の宮島沼へ向かう途中にある。
ハクチョウは天気のいい日、朝でも夜でも渡ってゆく。「この畑にもハクチョウがたくさん来ますか?」わたしは自宅周辺に舞い降りるハクチョウを撮影して、友人にハクチョウが渡ってきていることを知らせていた。ところが、彼は「あいつら!」と。「あいつらのおかげでひどい目に遇っている」。雪が解けて、去年刈り取られた水田、トウモロコシ畑跡に昨日も来ていた。「何かあるんですか?」「ハクチョウの脚に外来種の草の種(たね)が付いていて、これが畑に蔓延し、作物に被害をもたらすのだ」。
餌付けされた丹頂にも近所の畑に餌を食べに行き、被害を与えているのかもしれないが、外来種はあっという間に広がって大変らしいのだ。セイダカアワダチソウが短期間で日本中に広がったように、どんな外来種を運んでくるか心配をしているのだ。見ると牧歌的なハクチョウの渡りの風景の中に、必ずしも歓迎をしていない人たち、それも生きるための基本作物を作る農家へ打撃を与えていることは、彼とおしゃべりをしないと出てこなかった貴重な話であった。
その対策として、できるだけ雪解けを早くする土を雪の上に撒かないで、ハクチョウが北へ移動してから撒く工夫をしていると言っていた。いまは、シベリヤに帰るとき。彼らからみて外来種とは、本州で越冬しているハクチョウたちが生息地で脚に付けてくる種(たね)のことでこの地にはない草のこと。この伸びた草を筆者が撮影できれば、どんな植物か公開できるのでお楽しみに。いったい、いつから渡り鳥の習慣が形成されたのか。日本の植生も、温度や湿度、日射、浜辺に寄せられた種もあるだろうけど、渡り鳥が運んできた草や植物の種が、知らぬ間にこの国土を覆っていると考えると、農家の人には悪いが、別な意味ですごい歴史を感じるのは私だけだろうか?
ところで、肝心の私のアルバイトの件は、イレギュラーで相当に人手が足りないときに助っ人ということで採用されました。そして3日でリタイアでした。肉体が持ちません、しかし、紹介した別な若い奥さんが屈強でいまも働いています。農家から感謝されています。
昔の少年。
幼いころから農業を見て育ちましたから、農家の苦労は十分に分かって居るのですが、実際には子供の手伝い程度ですから左程頼りにもならなかったのではと思います。農業は嫌いでした。今でこそ機械化ですが、泥んこになる田植えは特に大っ嫌いでしたし、稲刈りも大変でした。でも稲を干す高いハサのてっぺんに登って見る景色は最高でしたね。そこから手作りのゴム動力で飛ぶ自作の飛行機を遠くまで飛ばすのが楽しみでした。つまり手伝いとは言え、遊び半分だったと言う事です。稲刈りも手作業、脱穀も足踏み式で手作業。モミガラの選別も手回し送風機と、発動機が普及するまでは全て人力でした。農協以外、どこにもクルマなど有りませんでしたから、搬送も荷車を押したり引いたりと重労働でしたね。白鳥こそ飛来しませんでしたが、田舎の人達は文句ひとつ言わずに毎日早朝から陽が落ちるまで働いていました。ですから年寄りは皆んな農作業の姿勢そのままに腰が曲がっていました。誰も皆んな働き者でした。鉄道の有る隣村でしたから男は鉄道員が多かったですね。農業は収穫後にしか現金収入に成りませんから、SLの機関手や助手、保線工、駅長や助役も居ました。国鉄では一目置かれた立場の彼らでさえ、週に一度の休日には田畑で百姓に変身します。実家の働き手は普段は主婦や年寄りばかりですからね。結局鉄道員も農家の人も冬の農閑期以外は年中休みなく働く人達ばかりでした。殆どが手作業ですから、猫の手でも借りたいほどで『働き方改革』など通用しない社会でしたね。でも唯一長期休めるのは、豪雪地帯がゆえの冬の農閑期でした。しかし働き者ばかりの田舎の人達は冬も、家の土間で、そば粉を作ったり稲わらで俵やゴザや粗縄や草履など器用に手作りしていました。家畜はたまに牛を飼って居たりしますが、卵を産む鶏は何処の家でも飼って居ましたね。火力は毎日早朝から火を炊く囲炉裏とご飯を炊くカマド、水は家の中の井戸や谷川から引いた天然水、コタツや火鉢の木炭も自家製、米も野菜も、どこまでも現金を使わない自給自足の暮らしでした。今ではすべてが電化製品とガス、水道ですが、農業も機械化で、車も一家に数台と増え、お金のかかる社会になりました。便利さの代償は、原発稼働の失敗政策による、終わりの見えない、取り返しのつかない後始末に苦しむ結果になりました。
seto
書いているのをよむだけでo、すさまじい労働量ですね。近所の農家のご主人に聞くと、農家は仕事だらけですと言われました。機械化が進んでもそうです。車を4台5台、収穫器械もあってもそうです。草取りも欠かせません。水や電気やガソリンはあって便利にはなっていますが、手作業(ジャガイモ分別)は手で分けてました。60ヘクタールの土地ですからね。年商は1億円だと言ってました。タブレットも最新のものを経費として買ってましたよ。広い土地なので白鳥がおります。草取りが大変みたいです。新種の草が一番ですね。
アドマン。
北海道に来て初めて見た、美しい白鳥の群れの渡りの姿でした。遠くから鳴き声が聞こえると、暫くして月明かりに美しいカギ型の真っ白い群れが壮観で素晴らしかったです。あっと言う間に過ぎ去り、カメラに収める暇もありません。何度も見ましたが、いつ見ても美しいと感動して居ましたが、まさか害鳥とは?。確かに大陸はシベリアあたりから飛来する訳で外来種の雑草の種も運んで来る事も有るのでしょうね。雑草の種だけでなく鳥インフルエンザなどの病原菌も運んで来る訳で、ありがたくないお土産は、あの美しい姿からは想像できませんね。シベリアに帰る時には新しい家族とともに、日本からは一体何を持ち帰るのでしょうね。できれば、戦争をやめるようにメッセージを持たせたいものですね。
seto
生物が移動するときは必ず何かを運びますね、体に付着した微生物やウィルスや、人ならば文化です。現代は鉄砲や爆弾や軍人ですね。移動すること自体が、戦いを呼んでしまってるのかもしれません。車も動かなければ交通事故は発生しません。タイヤも飛びません。自宅前の信用金庫でタイヤ外れて玄関ガラス壊しました。