トイレの話。
8年前にヘルニア手術をしたが、トイレ困難状況を味わい、食べるより、難なく出せるありがたさを再発見。
食についてはあれこれ書いてきた筆者だが、食べたら出す(出る)話を書いていないことに気づいた。たまたま『トイレ』(ミネルヴァ書房)というそのままズバリの本を見つけた。トイレ掃除たけなわの年末でもあるし。
スウィフトの本に裏切り者は緑色の便をするので、それを確かめに家来が王様の命で便色を調べる話とか、フランス文学者渡辺一夫さんの本に超美人でクラクラする女性を見たら、バランスを取るために彼女のトイレでのポーズを思い浮かべるといいとか、中村浩『糞尿博士世界漫遊記』(教養文庫)で尿を飲み水に変える研究をしていて、ソ連(現ロシア)で宇宙開発の関係者を前にした講演で、突然、自分の尿を出して水に変えてそれを飲んで、会場を唖然とさせたと。
誰しも実は糞尿に関しては、男女に関わらず失敗談含めていろいろなエピソードを持っている。その発表の機会がないだけだ。居酒屋で話されてるとは思うが、話せば『おいおい、食べているときに汚い話はよしてくれ、悪趣味だ』と嫌われる。子供は尿や便の話が大好きだから(おならの話も)、いつのまにかし尿・便の文化は入試試験問題からも遠ざけられてしまった。大事だと思うけど。
『トイレ』の本に戻れば、副題が排泄の空間から見る日本の文化と歴史。書き手がし尿・下水研究会だ。1998年に立ち上げた組織。会員は約20名。し尿・トイレ・下水道関係者が多い。『日ごろ、何となく口にするのがはばかれる話を、話題にしにくい話を幅広く情報交換する場をつくった』わけだ。古代、人間はどこでどういうポーズや環境で排泄をしていたのか?世界史の教科書には書いていない。日常の暮らしが書いていないのである。食べていないと生きられない生物としての人間だから必ず排泄をしているは
古代人は川を利用して排泄していた。天然の水洗トイレである。日本では縄文時代の貝塚やゴミ貯めから石化した便が見つかっている。糞石と言う。しかし、自然の中におおらかに男女とも大小便をしていたと思えば間違いないし、それが天然の肥料にもなっていた。川ヘリに突き出すように作られたトイレは世界じゅうで見られる。
私の義姉が万里の長城を見に行ったが『もう中国へは行かない』と言う。『どうして?』『トイレが丸見えところでするので嫌だ』と。水洗トイレに慣れている者から排泄に行くときに感じる違和感は大きい。水に流すトイレットぺーパーも使える国は少ないそうだ。ヨーロッパも下水道が作られる前は、自宅にある容器にし尿を入れて窓から『ご注意!』と叫んでざっと道路へ捨てていた。どれだけ匂う町であったろうかと想像する。ベルサイユの庭もあちこちで淑女がスカートを上げて何をしていたと思うと興ざめる。
一番、上の図は、江戸時代のし尿のリサイクル図であり、無駄の無い環境の江戸を示している。江戸の長屋20人の借家人が住んでいれば、1年でし尿を売り1両以上の収入がある。一人前の大工の1か月分の収入に匹敵する。2回目は厠(かわや)について書きます。
昔の少年。
私達の様な昭和生まれの高齢者なら、昔の水事情も知っていて、学校などでは地下水を手押しポンプでくみ上げたり、家庭では井戸水や谷の水を引いて利用したりしていましたから、水洗トイレなんて、田舎では見た事も聞いた事も無かったですね。衛生状態も悪かった為、夏場に上流の村で腸チフスなどの発症が分かれば、鮎釣りも、子供達の川遊びも禁止になったものです。つまり患者のおむつを川で洗ったり、汚物を流したりする可能性があるからです。しかし、夏には必ず伝染病が同じ村で発症していましたから川下ではピリピリしていました。むしろ飲料水は地下水や山奥に人家の無い清流水ですから被害は殆どありませんでした。電化製品も未だ有りませんから井戸は冷蔵庫代わりにも使用していました。ツルベに結んで西瓜を冷やしたり、母のお得意の寒天で作ったお菓子も井戸で冷やして作っていました。不思議なもので、何も無ければ工夫をするもので、何も困りませんでした。今なら、水道はもちろん、水洗トイレや冷蔵庫や電子レンジや洗濯機など有って当たり前の時代ですね。しかし平和な時代には重宝な身の回りのモノも災害や有事には使えなくなる事は間違いありません。電気が消えたら、冷蔵庫も、電子レンジも。水道が使えなかったら?水洗トイレも飲料水も、お風呂も、料理も。全て無かったらと?常に考える必要がありますね。分からなければ我々のような昭和の時代の経験者から、今のうちに習っておくといいですね。
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私も団地内にたくさん井戸を掘って欲しいと市側にめーるしています。彼らは水道水(東部水域事業団の採算で生きています)非常時が道の駅の下に水道水を貯めているみたいで1週間分らしい。しかし電気は北電に丸投げ、病院や役所は自家発電。これでは自宅の水洗は使えません。漁川に流すのなら簡単ですがね。便を落とす小屋を建てて欲しいものです。便利は不便の裏表です。昭和のはじめの暮らしが見直される時代ですね。一番はトイレ、2番目が風呂ですか?どちらにしてもきれいな水を欲しがります。私は北広島に天然水を汲みに2週間に一度行ってます。食品用だけですがね。しかし、近郊はゴルフ場多くて(いまでもゴルフをする人がいるんですね)芝に殺虫剤をまいていなければいいのですが。ゴルフする人たち、土の下で生きる生物や昆虫の命を考えていないのでしょうか?そして下を流れる水たちにについて。