戦費から考える太平洋戦争。
盧溝橋事件から始まる第二次世界大戦は、一体幾らのお金が動いてどこへ支払われたのか、沢山の犠牲を払って、どこが儲けたのか、あれこれネットで調べてみた。お金の話である。
日清戦争で2億3340万円、日露戦争はユダヤ系アメリカ人ジェイコブ・シスの資金提供(戦時国債50万ポンド引き受け)もあって18億2629万円。当時のお金をいまの金額に直すと日清戦争は400億円、日露は7300億円だ。では太平洋戦争では幾らの国費が使われたのか?いろいろな費用も加えて7558億円と言われる、いまのお金に直すと150兆円。
昭和44年度の日本国の予算が6兆6000億円だから、23年分の国家予算を使ったことになる。戦死者は軍人215万人、市民40万人以上(ちなみにソ連2000万人、中国1000万人超え、ナチスドイツ700~900万人、朝鮮40万人以上、アメリカ42万人)。
お金の話に戻ると、使途の8割以上は兵器を中心とする物件費で、民営工場へ委託していた。日本銀行本店を窓口にして支払われていた。一番多かったのは、三菱重工業や日立製作所(三井系)などへ6割、三井物産や三菱商事など商社へも多い、後は物資を運ぶ船舶を含めた運輸会社など。戦後GHQが財閥解体を意図したことが、金銭面からわかる。
敗戦前年1944年の国家予算934億円のうち、80%超える735億円が軍事費で消えている。費用の調達はもっぱら公債を発行して、金融機関や国民(戦時公債として戦後反故にされた)の負担、それでも足りず、占領地や植民地へも負担を強いた。泥棒国家(国家とは泥棒行為を正当化して、官僚や軍人、政治家を養う仕組みだと言う人もいるが)に追い銭であったかもしれない。精神論とか心や魂の話が新聞を中心に国民を煽り、部数を伸ばしてきた(新聞は実は戦争が大好きである、選挙も亜戦争かもしれない)。
政府は必ず嘘を言い、それに追随するマスメディアの自称客観報道がある。これは、全世界の政府や国民との間に横たわる虚無川を挟んで、いつになっても超えられない。真実を追いかける少数の人はいるのだが、どこで何を書いたり、話しているのかわからないときがある。
ましてや戦争を体験していない我々は、幸い、アメリカ軍が写した日本軍や民間人の映像、父親・母親の戦争体験の聞き取り(生活)、香月泰男のシベリアシリーズの絵、大岡昇平の「野火」、吉田満の「戦艦大和の最後」渡辺一夫「敗戦日記」まだまだ当時の記録として後世まで見られ、読まれるものが残されている。大西巨人「神聖喜劇」もある。死と隣り合わせの人生が国中を覆っていた時代の空気を吸ってみる、しかし、それを支えていた戦費の調達や支払先へも注視したいものである。ずばり企業名をどんどん出す戦争番組がもっと民放やNHKで放映されんことを。
(注 戦争当時の物価水準といまの物価を比べて正確な金額が書いている資料ごとに違うので、困ったことを伝えておきたい)
ゼロ戦パイロットの弟。
防衛予算でも驚きますが、実際の戦費は桁外れですね。それも、終戦にならなければ更に増えたとなった訳ですね。象徴的なものに戦艦大和が有りますね。空中戦の時代に戦艦とは?それも出航とほぼ同時に沈没したとは?当時の運部の時代錯誤も甚だしいですね。兄が飛行兵で幸い(?)にも生き残り復員はしましたが、それもその筈、飛ぶ飛行機が一機も無くなったと言って居ました。それでもさらにベニヤ製ボートで特攻をさせたようです。軍部の上層部は常に安全地帯を確保して掛け声だけ。当時は上からの命令は例え間違っていても通る構造だったのでしょうね。戦争は、国民全てをも巻き込んで正気を失くす社会構造に一変させますね。
seto
防衛といっても、人にお金を使わないのが戦前からの国是で、太平洋戦争の死者はほぼ餓死です、食料を現地調達といわんばかりに兵士を丁寧に扱ってきてません。現代でも自衛隊員その人たちへの配慮や待遇は推して知るべしではないでしょうか?原発をつくりもうけていた三菱重工や川崎重工など経団連所属の兵器産業がこのときとばかり「もっと儲けさせてくださいよ」とオネダリしている国税をたんまりもらう構図です。体当たり自殺飛行機をつくり乗せて、片道一人潜水艦もひどいもので、これを発案した男は戦後、雲隠れしています。「底が抜けた国」という本を戦史研究者が書いていま売れています。山崎雅弘。戦前。戦後、現代と繋げて書いてあるらしいので読んでみます。