知人の神社の人と久しぶりにお喋りして、「お寺の朝の6時の鐘がうるさいから鳴らすのを止めてくれ」と言われて、突くのを止めた寺があるんだという話を聞いた。

私も隣の家が今は空き家でときどき娘さんが帰省して、玄関灯を消し忘れて帰ることがある。ある日、キンコーンとベルが鳴り出て行くと近所の奥さん。「あのう、この家の向かいに知り合いがいて、現在、受験生。夜、この玄関の灯りが気になって勉強に集中できないので何とかなりませんか?」と相談を受けた。さっそく札幌の娘さんの家へ電話して事情を話すと、次の日やってきて消していった。筆者も夜に灯りを見たが、歩行者にとっては明るく、最近、痴漢が出る町なので、電気代を使い、玄関灯はありがたいはず。勉強部屋を厚いカーデンで覆えば見えない。「あの部屋から遮光カーテンをしても机が向かいの家に向っているのでまぶしいのです」と言われた。机の位置を変えれば済むではないかと思うが。何でも気になりだしたら止まらない。

気になるのは公園の遊具で、回るものはことごとくテープで巻かれてケガ防止だ。ケガで覚える、痛さで覚えるという発想や育て方が消えている。とにかく過保護だ。過干渉だ。市は万が一を考えて、責任を取りたくないから安全安全安全。親は何かというと教育委員会や市当局を訴える癖がついてしまった。訴える案件もあるだろうが、公園の鉄棒から落ちた、公園の滑車から落ちたので危ない遊具を外せで、大人が遊んでも楽しい滑車がある日を境に消えていた。けがをすればマーキュロンや消毒液を塗り、ひりひりした感触が筆者には残っていて懐かしい。昔の学校のグラウンドも石ころだらけで、運動会の徒競走で転ぶと膝を打ち血も出てくる。1学年500人を超える徒競走で転んでケガをして誰一人、グランド整備にクレームを言う親はいなかった。「転んだお前が悪いんだ、不運だったんだ」でおしまい。先生に叩かれたら、「悪いことをして叩かれたお前が悪いんだ」で平気であった。そこに親と教師の信頼関係があった。第三者機関は入ってこない。

この信頼関係は、町内でも大事で《落語の世界なら長屋》、いざというときに力を発揮するし、安全に暮らせる防波堤だ。この防波堤が決壊しそうだ。企業の中でも、集団の中でも、かろうじておばあちゃん同士の世界で筆者の見るところ残っている。駅の待合室で、スーパーで病院で歩道で、おばあちゃん同士は健康の話から子どもや孫の話、夫の悪口。楽しそうにプライバシー漏れても平気な現代の《昭和の空間》を作っている。アジールだ。

  1. 寺の鐘は時刻を知らせる為にも重宝でしたし、風流な音色は好きでした。それにお坊さんが早朝に手動で鬱のですからご苦労様ですね。除夜の鐘などは感動しますね。時計台の鐘の音が札幌市の象徴でもあり、音は景色の一部でもありますね。耳栓かヘッドホンでもすれば聞こえませんから、音が嫌いな人は工夫さえすれば自分の世界に入れるのではないでしょうか。夜の明かりが気になるとは?逆にお勉強部屋から深夜も漏れる光の事は何処かの誰かが気にして眠れないかも知れませんね。公園の遊具も危険だと?第一、田舎に公園など遊具など最初から無く、有る物を活用したり工夫したものです。野蛮と言われそうですが、私たちは命を懸けて遊びましたから理解できませんね。例えば友達数人で1台のトロッコに乗って身を伏せ目をつぶって斜面をスピードに乗った後で車止めの寸前で全員飛び降りる遊びなど一つ間違えば大けがか死にますからね。一種の男の子たちの肝試しゲームでしたね。オンラインゲームなど指先だけのゲームでは味わえない緊迫感と死ぬかもしれない恐怖を味わう恐ろしい遊びを考えたのもです。戦争ゴッコは自作武器(弓矢)や石合戦で本気に戦いケガして帰宅したものです。親も自分の子には無関心でも他人の子にケガさせたと知ると、こっ酷く体罰を与えられました。従って親に知られない様に工夫したものです。ですから親に言いつける弱虫の子とはツルまない様にもしていました。何でも保護主義的な現代ですが、果してこの先は一体どうなるのでしょうね?。

    • 保護主義は食料だけにしてほしいものです。先生に叩かれても「お前が悪いからだよ」と親は教師を尊敬・信頼してました。最近、私はクレーム言ったのですが、ある時期まで図書館内で静かに坂本龍一のピアノが流れていました。ある日、一人の市民がうるさいと言って音楽を止めました。その男から「止めてくれてありがとう」の返事。「それっておかしくない?」と私は抗議しました。音にもいろいろあって本を読むときは環境音楽流す人もいれば、音を消す人もいます。坂本龍一が亡くなって、追悼の意味もあって彼のピアノで心穏やかになった私なのでクレーム言ったわけです。いずれ市民の意見を聞くと思います。爺さんの俺が俺がが出た事件です。川のセセラギでも流すといいです。受験生がたくさん来てるから、受験終われば坂本龍一を復活させてほしいです。首都圏で幼稚園をつくろうとしたら、送り迎えの車の渋滞はありますが、子供の声がうるさいと言って近所の爺さんたちが反対運動を起こしたことがありました。子どもの声で元気になると思うのですがね。昔の少年さんはワイルドな少年時代で羨ましい、。危険なところ多々ありますが、札幌東区では豊平川で筏づくり、斜面でスキー・ジャンプした程度です。全身を使っていたことは共通ですが。

  2. 今や先生も鬱になるらしいですが、子供や親にいじめられる時代なんですね。小学校では竹の棒を持って教室を歩き回っていた赤鬼先生を思い出しました。怒りっぽく、怒らせれば顔が真っ赤になるので、そう呼んでいました。良く解釈すれば、それだけ教師も教育に真剣だったのでしょうね。生徒も真剣に授業を受けていた訳ですが居眠り常習犯には分厚い書類をその机の上にドサッと置いて起こして、寝ぼけ眼の生徒は皆の失笑をかって居ました。授業前の校内で取っ組み合いの喧嘩をした事がバレて、体罰として水を入れたバケツを持たされ授業中の教室の廊下に立たされましたが、窓越しに大声で答えを言うと教室に入れてくれ、許されたものです。今なら教育委員会ものですね。当時は親に言いつけたりしませんでしたね。自分が悪いから言う訳ないですよね。

    • 体育の先生は竹刀を持ってました。叩かれた同級生たくさんいました。軍隊時代の名残ですね。コトバ遣いもヤクザっぽく話してましたが、体育好きの女子には人気でした。掃除のときに机を教室の後ろに移動させるのですが、担任は気になる女の子のお尻に手を当てて一緒に机を押していました。「嫌っ、先生、やめて」でした。中学のクラス会で必ずこの話題が出ます。教育委員会の役員になった谷巌先生です。故人です。ぶっくり太ったいかにも助平という赤ら顔。別な意味で筆者がひどい目にあった教師です。権力志向の教師でした。

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