人間が食べるものも飲むものもすべて、自分で作り取り、自然と自ら対峙して生きて、SEXをして自分で倒した木で家を作り、妻の出産を助けて、家族を養えれば、貨幣も要らずクレーマーも生じない。「近代化とは生活に必須なインフラをすべて他者に任せていくプロセスだ」(鷲田精一)。「この世はウソでできている」(池田清彦・新潮社192p)より。

他者とは、国や地方自治体や大企業。水も食料もエネルギーも金を払うことによって他者から供給してもらうシステムの中で生きている。この供給システムに不具合が生じると人々は自身の力では生きていけない。クレーマーはこのシステムがある限り、必然的に増加する。

水が出なければ、水道局へ。虫の入ったパンは食品会社や消費者協会へ、停電は電力会社へ、子供の通信簿や内申書は担当教員や学校または教育委員会へ、番組内容はテレビ局へ、新聞記事内容は新聞社へ、。あらゆることが他者任せの世界は、自力で生きる力を弱くするがゆえに(自分では何もできなかいから)クレーマーになる。2ちゃんねるやブログ炎上も、このシステムがなければ発生しない。

しかし、時々、きらっと光る真実が見えるときもあって、あながち否定することもできない。学校の教師が辞める原因の大半が保護者からのクレームからだという。私の高校の同級生が女子高で現代国語の教師になった。卓球部の顧問もしていたが、ある日、練習を終えて、間違って「着替えをしていた部員の教室を開けてしまい」、その噂が次々広がり、親からのクレームもあって、辞表を書いた事件を思い出した。彼はいまどこで何をしているのか連絡がつかない。

ある人の話では新聞社の読者相談室も「クレームの嵐」に見舞われ、電話を取るのが恐怖でうつ病を発症した人もいる。言ってすっきり、受けてガックリである。それはあらゆる組織(システム)に言える現象で、いまはクレームが来る前に、クレームになりそうな事柄を探すサービス会社が繁盛していると聞く。医者の世界も同様で、妊産婦や小児科での多くのクレームを処理(?)するために裁判費用を積み立てる医師も多い。

もっとも、群馬大学医学部の腹腔鏡手術の失敗で8人から18人を手術失敗で連続死に至らしめる事件は犯罪ではあるけれど、簡単な処置する程度のものでも同意書を書かせるのは、医師と病院の責任回避ではあるが、患者にしてみたら、自信を持ってやってほしいものである、嘘でもいいから。「大丈夫、任せなさい」たとえそれで死んでも諦めがつく。(群大のことではないので誤解のないように。自分の心臓カテーテル手術のときのことを思い出していた)

おころが、どの世界もまずは「私には責任はありませんし、取りません。そのためにこういう書類があってあなたはサインをしたのです。そうでしょう?これは法律で決まっていることで、私の一存でどうにでもなるものではありません。入力は別な人間がしたのです。私ではありません。上司に言ってください」(旧社保庁)「そのときのあなたの担当者はもうこの支店にはおりません」(証券会社)。

「今回の社員の自殺については、労働条件が特にきついというわけでなくて、会社側として特に残業時間が他の社員からみて、異常なほど長かったとは思えません。原因は彼個人の資質にあったのでは?なので労災認定は会社としてできません」(一般企業)。クレームに対して、組織の防衛は超厚く、責任者はどこかにいなくなる。すべて顔のないシステムが独り歩きしている。こちらはクレームをガンガン言わないといけないケースだ。

しかし、私のブログもときどき世の中へのクレーム記事もあって、クレーマーにああだこうだと言えない。同じ穴のムジナだ。できるだけクレーマーにならぬよう自分のことは自分でする習慣を身に着けたいものである。

  1. クレーム処理にはどの企業でも対応に追われるセクションですね。しかし、依然と少し違うのは法改正でお客やクレーマーの暴言に対してカスタマー(客)ハラスメントなるものが出来た事ですね。以前、札幌は東苗穂の大型ショッピングモールで中年女性の顧客がクレームをつけて店員や店長に怒鳴り散らして土下座させて動画を拡散して問題になった事がありました。その後、各企業ではカスハラ対策としてのマニアルなども作成して対応する様になりましたから現在では余程無知な顧客以外は怒鳴り散らしたりする姿は観なくなりました。しかし、明らかにクレームとなれば怒鳴るのでは無く文書か何かで申し出ることはしなくてはなりませんね。食品などのクレームなら命に係わる事だってありますからね。会社でも、原因はともあれ上司が頭ごなしに怒鳴り散らすなど上司のストレス解消にはなっても社員が居つかなくなる原因にもなりますからね。時代はすっかり変わったようです。しかし、旧タイプの上司のストレスは益々蓄積されますから間違って会社では無い社外でストレス発散の為に犯罪でも起こさなければいいですね。

    • 現在では証券会社の口座がシンガポールや中国の企業から狙われて数千万円の損金を出してる顧客があります。貯蓄から投資へと政府が旗を振ってこの始末。亡き父や妻の父は戦争から息切れて帰国し「もう政府や国は信用しない」と断言してました。私も国はいずれ都合悪くなれば棄民する(それは日本に限りません)と思うので信用はしていません。大きなシステムもいずれ壊れると思ってもいます。一番危ういのが現代世界ですね。逃げるが勝ちです。

  2. 便利さばかりを追求した社会は無駄も多いですね。自分で出来る事も他人任せ他社任せですね。ちまり便利が当たり前の時代と言う訳です。蛇口をひねれば水やお湯が出て、スイッチを押せば電気が来て明かりも電化製品もパソコンも終いにはクルマさえも電気で走る時代です。便利な電気に依存すればするほど電気の消費量は増えるに決まっているのですが、電化製品や電気をエネルギーとする物は後を絶たず生産や整備されています。片方ではSDGsなどと綺麗事を唱えながら全く正反対の方向に向かっている訳ですから矛盾も甚だしいですね。自然エネルギーの太陽光や風力発電も増えれば増えるほど自然破壊に繋がり原発もやむなく再稼働へと舵を取り始めました。おまけに電気依存の社会を良い事に電力会社の軒並み値上げもあり、一般消費者に負担をかけています。電気も必要以上に使わないようにする事は当然乍ら、何でも電気を使う発想そのものは短絡過ぎますね。便利すぎる事は決して良いとは言えませんね。これからは電気ばかりに頼らない工夫が必要ですね。原発再稼働を停める為にも。風車を増やさない為にも、太陽光パネルで自然体系を壊さない為にも。

    • 耶馬渓という中津市の景観を見てきましたが、太陽光パネルが景観を崩して、パネル下の住宅を脅かしています。大雨が降ると住宅を破壊します。斜面に置かれているわけですから。1軒の家のエゴ(銭)で近隣の安全を脅かしているのです。近所に近畿大学の用地がありますが、太陽光パネルに埋め尽くされています。怪しげな企業が土地の転売をして金もうけをしていますが、電力会社の買取価格が伸びないのでやきもきしてます。政治家も絡んでいます。ゼネコンも中国系企業も参入しています。テレビ局もデジタルになってから数倍の電力を使用しています。強い照明で照らすので役者の健康被害になりうるわけです。私は暗いと恐怖心が出るので2階は蛍光灯(LEDではありません)で明るくしています。自然エネルギーの恩恵は植物たちが一番受けていて、彼らがいないと酸素と二酸化炭素の比率が崩れて生命は生き延びれませんね。

  3. 今では各企業がこぞって社員の休憩スペースを再整備する動きが盛んになって来ました。売り場に比べて直接利益を産まない社員厚生施設部分に大幅投資をすると言うものです。理由の一つは社員の確保ですね。休憩時間にリラックスできて、しかもトレーニング設備や飲食も出来るとなれば多忙な毎日の業務に追われる傍ら、僅かな時間でも寛げたり、スポーツジム代わりに利用できたりと社員の心をつかみ若手社員の早期退社を防ぎ、新規採用にも役立てようと言う事らしいです。至れり尽くせりの環境で働く事の歓びは誰もが望む事ですから、今後は福利厚生に力を入れた企業に良い人材も集まるのではないでしょうか。企業にしてみれば大きな投資になりますが、先々を見れば社員の労働意欲高揚により利益を産むかも知れませんね。これで少なくとも社内での社員からのクレームは無くなる事でしょうね。

    • 企業内で内部留保の資金を次の産業へ投資する知恵や頭脳がないので、現金で渡せば喜ばれるのを福利厚生に使いごまかしているだけです。500兆円の内部留保金を使えない愚かな経営者たちです。

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