ギボンの「ローマ帝国衰亡史」を翻訳中、故人になった英文学者中野好夫さんが正月の朝日新聞に掲載した記事(掲載年不明)が突然出てきた。加藤周一著作集の4巻目「日本文学史序説上」を出すと、パラパラ落ちた。当時の新聞の文字は小さいので、必死に目を凝らして読んだ。書き手は「滅ぶことを知ること」MEMENTO MORIとラテン語の副題をつけた。朝日の方では「人類は英知を持ちうるか~物質と精神の矛盾の中で~」と穏やかな題名に。

昭和12年(1937年)に岩波「思想」に彼が書いた文章だ。「人間、物の秩序の面における進歩は、われらの空想力さえ嗤(わら)い去るほどにめざましい。ほとんど奔馬的といってもよい。が、それに対して心の秩序での進歩は旧態依然、数千年以前とほとんど変わりないのだから面白い。物の面におけるこの超幾何級数的飛躍進歩と、心の面におけるこれはまた算術級数をはるかに下回る進歩と、この奇妙な〇(は)行現象の将来は、果たして何を人類社会にもたらすことになるであろうか。」

さらに「殺人兵器や情報通信網等々こそとてつもなく発達したが、ただそれだけのことで、本質そのものは数千年前とまったく変わらぬといってもよい。~~勝手に引いたありもせぬ地上の線一本のことで血眼になり、ときには残虐きわまる戦争さえおっぱじめる。(ハムレット)作中ある人物の独白ではないが、仆(たお)れた戦士の遺骸を横たえるにも足りぬ猫額大の地を争うために、喜び勇んで死地に急ぐという。これがそもそもホモ・サピエンスと呼ばれる存在なのであろうか」。

中野さんは1975年にも朝日新聞の正月紙面に「人は獣に及ばず」を書いて、人類滅亡後の地球を空想して書いている。「見渡す限り、鉄屑とコンクリート屑の堆積だけかもしれぬ」と。「死塊のような地球が、無限大の宇宙空間をただ沈黙の展転をつづけているだけなのではあるまいか。まことにいやな想像だが、案外当たらないとも言い切れぬ」。

短い文なのでブログは2本です。

中野好夫さんは1943年10月21日、神宮外苑での「学徒出陣」で教え子たちを死地へ赴かせた責任を生涯負って生きた人だ。学徒出陣とは兵士が足りなくなって、文系の学生を中心に(農学系も文系に入れた)20歳以上の男子が戦地へ送られた。式典は10月21日に神宮外苑、同日台北、30日ソウル、11月3日満州、同日は二世の学生、以下仙台、大阪、名古屋、上海と続き最後は11月28日の札幌だ。学歴が災いして下士官になるのが早く敗戦後、B・C級の戦犯として死刑になる者やシベリヤへ抑留される者も多かった。安倍首相の叔父岸信介はGHQの要請でCIAのスパイとして活動する見返りにA級戦犯でありながら絞首刑から逃れ、生き延びた。MEMENTO MORIは中野さんが死んでいった学生(教え子含めて)を思いながら書いた文章に違いない。

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です