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こういう話は、各宗派の手前味噌な説教文が多いので、昨日に続き、友人の文章を掲載しますので、よろしくお読みください。それこそ「太古につながる生活者の目」のテーマにもつながるはずです。

ついでながら、法名の話に出てきた三蔵法師の三蔵は法名ではなく尊称です。

仏教の普及に貢献した人というような意味で、三蔵法師は玄奘の他にも

何人もいて、日本にも霊仙という人がいます。

玄奘は弟子の法名に「悟」の一文字を付けました。

孫悟空、沙悟浄は法名ですが、猪八戒は法名ではなく渾名で、

法名は猪悟能です。特に素行が悪いので、

八つの戒めを授けられたためにそう言われています。

孫悟空は行者という渾名で呼ばれます。

 

昔の人は幼名から始まって、年齢や立場が変わるごとに

名前が変わりましたが、現代人はそういうことがなくなったため

戒名、法名にはぴんとこないのかもしれません。

わからないなりに大事にしようと考えるのか、

いつの頃からか会葬御礼のハガキに、故人の戒名を入れて

配布するようになりました。が、あれはかなり感心しません。

戒名が書いてあれば、たとえ紙でもそれが位牌です。

誰彼かまわずに送りつけ、挙句のはてにゴミ箱に捨てられるでは

それこそ故人が浮かばれません。伝統でも何でも無く、

葬儀屋が勝手に考えだしたことなので、

できればみんなが勇気を持ってやめてほしいものです。

戒名は導師が引導文の中で読みあげたときに初めて存在するもので

事前に誰かが印刷できるはずのないものです。

それどころかそもそも会葬御礼自体、一軒一軒訪ねて行って

お礼を述べるべきものでハガキ1枚で済ますような無礼はしないものでした。

 

その昔はどの家も貧しかったので、まともな仏壇や位牌のない

家のほうが多いくらいでした。食べることさえままならない時には

そういうお金があったら、生きてる人間に使いなさいと

寺でも教えていました。ですからタンスの上に、みかん箱を置いて

中に住職に戒名を書いてもらった紙を置いて仏壇代わりにしていた

などという家はめずらしくありませんでした。また、そういう家に限って、

きちんと毎朝蝋燭線香をあげていたものです。

歳をとったのに、法名や戒名の扱いを間違えるというのは、

知らないこととはいえ、やはり奢りなのではないかと思います。

 

 

  1. 坊さんの孫なのに父からは教えて貰えなくて父母の葬儀の後は自分なりに、菓子折りを持って村の一軒一軒お礼を言って回りました。帰省した時も「父母がお世話になりました」と、お土産を一軒一軒持参しました。一度は母の葬儀の際、離婚で戸籍を勝手に抜いた兄でしたが、戸籍を抜いても兄は兄と、僕の判断で喪主に仕立てました。県庁に勤めていた兄が手慣れていると言うので任せた結果、姓が違う兄に村の人たちにそっぽを向かれた挙句、兄が読み上げた焼香順でもめ事が。兄は間違いを問題視せず腰を挙げないので、翌朝、姉と兄嫁を連れて親戚の玄関先の土間に土下座して謝罪しました。親戚のおばちゃんは「私はもっと近い親戚と思っていたのに・・・」と泣いていました。それ以来、郷に入れば郷に従えと、父の葬儀では最初から村の相談役にお任せしました。お寺での慣習もお坊さんに聞きながら何とか終えました。知らないとは言え福井の田舎では難しい事ばかりでしたが、札幌は葬儀も結婚式も近隣のお付き合いも、全てが略式で全然違っていました。知らないことは素直に、最初から知ったかぶりしない事です。

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