外務省職員 洗脳文書
噂の真相2003年11月号から
「外務省員が読むべき日米安保のバイブル(メモ10ページ)」がある。事務次官や駐米大使の栗山尚一が条約課長時代に書いたもの。俗に「外務省員洗脳の書」と呼ばれるものだ。レバノン大使を解任された天木直人の「さらば外務省!」に出てくる。
日本が実際に軍事攻撃された場合、果たして米国は自らの血を流して日本を防衛してくれるのかという根本的疑問に「米国は日本と共通の価値観を有する信頼できる唯一の国である。そのような国に対して助けてくれないかもしれないなどと疑念を抱くこと自体、誤りであり米国に失礼である」。
常に米国に盲従する原点がここにあり、天木大使がイラク開戦1週間前に当時の小泉政権のブッシュのイラク攻撃支持に異議を唱える公電を「意見具申」として外務省に打電、さらに開戦直後も打電して反対を表明したのだ。さっそく外務省から恫喝の電話「責任を取らされますよ。辞職するつもりなのですか」。そして帰国命令、事実上の解雇につながった。
当時の竹内次官から「君は外務省という組織の枠を踏み外してしまったんだよ」。このニュースは東京在住の海外特派員協会で記者会見を開くまで大きなニュースなのに、日本のメディアは外務省側のコメント「天木は頭がおかしくなっている、相手にしない方がいい」という個人攻撃を垂れ流して大きく扱わなかった。天木さんは「これが外務省職員のバイブルだというのだ。まさか国民は、わが国の外交がこれほどまでに底の浅いものだとは想像もしていまい」。
さらにこの本は外務省の機密費疑惑も書いている。田中真紀子氏が外務大臣のときにこの機密費を暴こうとやっきになったが、失敗した。大使でもなれば手当も多く、すぐに豪邸を建てられるくらいの給与を支給される。ノンキャリアはそれを見て公金を不正に流用して競走馬を持ったりして逮捕された経理マンもいた。不正に機密費を使うことも外務省という組織の枠内の出来事なんだね、そう思う。
最高検察庁の公私混同する金といい、内閣の官房機密費の亜流が続々出てくる(私的流用するため領収書不要または架空の領収書改竄)昔はこういう大きな案件が発覚したら新聞・週刊誌・テレビの報道部は色めき立って報道合戦をしたものだが、最近は政府発表に解説文付きの記事ばかりで、真正面から対決するマスメディアがなくなった。安倍首相がテレビに映るとチャンネル替える主婦が異常に多いのをご存知だろうか?
昔の少年
お金の流れを見せない機密費、その名の通り国家機密だから見せないのだろうが、我々は、少しでも臨時収入でもあれば、たちまちキャッチされ税金を催促される。銀行の口座などはガラスの箱状態で機密など全くない。他人の金を公然と勝手に運用して成り立つ銀行は、CDで自分の預金を僅か下ろしても手数料が自動的に発生する(自動化で手数など掛かっていないはず)。今度はマイナンバー実施で、個人預金のガラスの箱状態はますます強くなるだろう。今は無き有名スターが床下に沢山の壺を置いて現金を仕舞っていたと言うが、雀の涙金利の銀行より確実な個人機密費だ。政府機関の構造は出来上がった上に顔を挿げ替えるだけで、誰がトップになろうが現場や組織構造は変わらない。マニアル通りルーティンをこなせば組織構造は安泰で住みやすく、何も考えず、何も変えず、互いの立場を護り、組織の事は「見猿・聞か猿・言わ猿」と家康の教えを未だに踏襲している。これに反旗を翻した者に生き残った者は未だ居ない。また、そこに触れずにさえ居れば、トップもそのお仲間達も暖かい政権の座布団に長く座れる事になる。「笑点」ではないが、彼らメンバーにとって座布団一枚の価値は大きく、今もその座布団の数を増やし続けているのだろう。内部の事は「言わ猿」のトップも、世界情勢が不安定になればなるほど、この時とばかり饒舌になり「鷺」にも姿を変える。未だに米国の「虎」の威を借りて国の安全対策を唱えながらも自分の身を護る事しか考えて居ないのではないだろうか。来年の事を言えば「鬼」が笑うかも知れないけれど、間もなく「猿年」が来るが、既に彼ら一人一人の顔を良く観察すればお判りになると思うが、化けの皮が剥がれて、本来の「猿」の顔が表われていないだろうか?「猿」に叱られそうだが、もう、そろそろ尻尾も出す頃だと思うが。