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あけましておめでとうございます。ことしも筆者のブログにおつきあいください。

立川談志に上岡龍太郎が言った言葉だ「鏡を見ると自分の未来が見える」。男の場合、鏡は朝の顔洗いか髭剃りのときくらいで、私なんか自分の顔を見たくもないので、目をつぶる癖があった。50代中ごろからブクブク太りだして、顎が2重・3重、「哀れな顔!」と自己管理できない自分を呪ったものだ。

しかし、60を過ぎるとストレスも減り、体重もみるみる減って(糖尿病の薬スーグラ効果もある)鏡を見る時間が長くなった。顎もほっそりになったが迫力はなくなった。さらに痩せると目の下に隈やしわや肌のシミ、それ以上にキラキラしない眼だ。「さあ、きょうもやるぞ」という元気が目にない。どこか眠そうだ。

男は外で何かする、誰かのために働かないといっぺんに大脳や肉体が衰えるから注意しよう。故小渕首相が「平成」と元号を決めてから、西暦と平成が即座に正しく言えない27年間だった。特に奇数がいけない。平成27年、2015年とすぐに出ない。来年は偶数なので28、16で覚えればいいから楽だ。高校時代にあれほど数学が好きだったのに、社会人で毎月数字を作る、売上・利益を求める実働の世界に入ると、数字アレルギーになってしまった、自己嫌悪も含めて。さらに天敵のような社員が理学部数学科を出ていて、嫌悪感ひとしおだったのも遠因かもしれない。

他人の数字についてはあれこれ言えるのに。自分の目標を達して儲けた月があっても、次の月はゼロからの出発。気の休まる日はない。大きな契約予定の数字もある日「やっぱり休止」とか「予算を別なものに使った」でドタキャンもよくあった。お客さんは気まぐれ。浮草稼業の毎日だった。

で、表題の立川談志さんが上岡龍太郎さんから言われた言葉だ。鏡は物理的なガラスではなくて、他人の顔、寄席芸人でいえば目の前のお客さんかもしれない。もう笑いも取れないなあと直接感じることもあるだろう。テレビではごまかせる。擬音で笑い声を入れてる場合もある。しかし、舞台はごまかしがきかない、真剣勝負。男女関係でいけば一番の他者は異性だ。自分の未来は彼女の顔にもう出ている。怖いね。その逆も真だけど。

そうすると、われわれは、他人に映る自分の顔はその人の表情を読めばわかるのかもしれない。他人の顔が自分の顔なのだ。立川談志いわく、この国で起きる事件は国民が望んでいるから、起きるのだと。その事件に国民の内奥の顔が出ている。

参考図書 立川談志「やかん」

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  1. さすが深い話ですね。年齢と共に細胞が死んで行くと考えればラクなのだろうが、人は自分の事を知ろうとしないし知らんぷりをする。ある時、前職の社員と同行でとある大手流通の事務所を訪ねた。その手の大型店舗は明るく広く綺麗だが、扉の向こうの事務所に続く廊下は薄暗い。そんな廊下で向こうに人の気配を感じて見ると?知らない人がこっちを見ていた。一瞬誰だろう?と、次の瞬間!何と自分の姿が大型の姿見の鏡に映っていたのだと気づいた。余りにも自分の理想形とかけ離れた姿や顔かたちの人物に唖然とした。自分の目から他人を見るような冷静で駆け引きのない見方で観察できた瞬間でもあったのだろうが、その時のショックは非常に大きかった。その後は、身なりにも少しは気遣ったりするようになったが「人を振り見て、我が振りなおせ」と言うより「自分を振り見て我が振りなおした」と言う事になる。他人の身なりやしぐさや癖や行いを見たら、大なり小なり自分にも当てはまっている事が多いとも思える。自分に注意する者も居ない立場になればますます自分が見えなくなるが、娘などは遠慮なくズケズケ踏み込んで来てくれるから、その点娘の居る僕などは助かる。或る時は大手電力会社の事務所に訪問の時、大まじめな自分を、女性社員達は「あの人は何時も眉間にしわ寄せて入って来るよね・・・」と噂になっていたらしい。電力会社の女性社員と結婚した同僚から巡り巡って聞いた話だが「他人と言う鏡」に見られている自分もその鏡を見て自分の姿を見失わないようにしなければいけない。自分の顔・形・姿さえ見分けられなくならない為にも。

  2. 歳をとる事は余り気にしないで来たほうだが、最近は歳を感じる(衰えを感じる)事も多い。若い人たちが羨ましく思えるのは自分にもそんな時代があったからで、そのころを懐かしんでいるのだろう。急に老け込む訳はなく長年かけて今があるのだが、我々は皆んな同じように「最近急に老けた」と口にする。誰しも毎年一つづつ同じだけ歳をとっているし、歳をとらない人など居ない。「あの人は変わらないね」と言うのも自分に比べて若々しく見えるだけの事。身なりや化粧や装飾品やブランド品の持ち物などで少しごまかしているだけで、元手をかけて見栄を張っているだけだ。気持ちの若さを保つには異性を意識する事かも知れない。ダンスを習っていたり、サークルに参加したり異性と交じっている事や恋愛感情も気持ちの持ち方が随分違うと思う。仕事を見つける事もいいと思うが、これまで何でも出来た人でも或る程度限られて来る。他人に気を遣わず、自分の体力に合わせてマイペースで働けるところは自営しかないだろう。精神的に不健康になれば本当の病気にだって結び付くからストレスの無い自分の世界を創り出すしか無いと思う。他人を見て羨む事よりも、自分の鏡を、もう一度磨いてみて、他人に羨んで貰うと言う考えはどうだろう。体力・気力が続く限りは。

  3. 中学生の頃、和暦を西暦に変更するのには、和暦に25を足せば良いのだ気づき、生きてきました。
    そしたら、今度あ平成だあ~となって、12足せば良いやと自分に言い聞かせるも、今度はいざとなったら、あれ?
    今年は平成何年だっけ?・・・あれ?今年は西暦何年だっけ?
    と、最所自分で決めた12足せば良いという原則の大元を忘れる始末です・・・

    今年もよろしくお願いします。

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