ことしは雪が少ない。私の住む団地もお蔭様で除雪が楽だ。少ない雪をさらに鏡のように家の前の道路を削っている人がいた。「雪が少なくていい正月ですね」と私が声をかけたら、「雪が降らないと、運動不足になって困る。雪、降ってほしいね」。70歳くらいだ。

運動不足なら自宅前が広大なグラウンドで日本庭園もある。誰が見ても羨ましいロケーションの戸建てなのだから散歩すればいいのになあと思いながら、この頑固さは、いろんな場面で定年後の男たちにあるなと自省した。「除雪機はあるのですか?」「あるよ、今年は一度だけしか出番がないが、除雪機を使うと大して運動にならない」。それなら除雪機を使わなければいいのに。

すべてが自分の運動と健康をテーマに人生が組み立てられている人だ。そして相手の言い分にまず「そうですね」でいいのに必ず反論をまず述べる癖がついている。人から好かれない人生を歩んできたのかもしれない。自分中心に天気も変わらないと機嫌が悪いのかもしれない。超人にでもなって空を飛び、雪雲を運んで来れるのならそれでいけども。

自分の健康については軸がブレない素敵な生き方だと思う人もいるかもしれない。軸がブレないって、生き方や価値観でずいぶん高い評価を与えられるけど、半面、「融通がきかない」「頑固者」「思い込み激しい」「エゴが強過ぎ」「自分勝手」など他者との関係で困難なことも多い。理想は水スマシのように水面をスイスイ泳げるよう、世間を渡れればいいのでしょうが。「こんな人になりたくない」は定年のおじさんに限らず、30代でも親の七光りで入社して、若い時から威張り癖が取れず、全社員から嫌われても苦にしない強者もいた。上司が注意でもすれば、父親へ言いつけられて、その団体の長から呼ばれて上司が注意されることもあったという。そういう組織は中から腐っていく。

「こんな人になりたい」という偉人やスポーツマンの伝記が少年少女本に多いけど、夢を失って申し訳ないけど、たまに「こういう人にはなりたくない」という本もたくさん作ってはどうだろう?もうそういう本はあるよと言う声が聞こえる。「自分の親たちだと」。よく聞くのが「親を見ていて、結婚ってしない方が幸せ感強いかも」だって。実は筆者自身が、自分で自分を「こういう人になって欲しくない」と思っているのかもしれない。やれやれだ。私も両親を見ていて「楽しい人生を送ったのかな?」と考えることがある。いつのまにか、自分の人生観が父親の生き方に似ていることに気づいてびっくりする瞬間もある。DNAは生きている。私の息子がさらにそれを繰り返すとしたら、人生観循環論だ。

  1. 今は辞めたが、僕の家族は初期の頃からの介護の仕事をしていたので、人間模様をずいぶん聞かされて勉強になった。元ヤクザ、元官庁の役人、威張った障害者、独居老人、生活保護家庭、パーキンソン病患者、認知症、などいろいろだった。一番悪いのはヘルパーを女中か奴隷のように扱う奴らだ。元は何様かは知らないが、職を辞めたり、歳をとったりすれば、ただの人間だと言う認識すらない。介護を受けるにも現在では介護認定3以上となっているが、当時は認定1で自分でできる事すらしないでヘルパーを入れてこき使う。タダのように安い料金で女中を雇える感覚だ。こんな人間にはなりたくないと思ったが、今思えば、いつもイライラしたり、他人に酷い態度で接する人は病気だと思う。心の病はもとより体の内部のどこかが病んでいる人達だ。皮肉しか言わない、笑顔が無い、自分では何もできないくせに他人を平気で利用する。そんな反面いつもニコニコ気持ちのいい笑顔の人も居る。そんな人は心が健康で周囲にも元気をくれる。どうせみんな歳をとるのだから、せめて可愛いお年寄りになりたいものだ。認知症の人には「ダメ!」と「違うよ!」は絶対禁句。何を言われても我慢して笑顔で「そうだね~」、「大変だね~」と言ってあげると安心して言う事も聞いてくれる。ほめ殺しでいい子を育てる手法にも似ている。頑固は認知症の走りと思って、腹を立てずに笑顔で「そうだね~」、「大変だね~」と接した方が自分の心の健康にはいいと思う。同じようにならない為にも。母が病院で認知症になった時は僕もまだ若かったので「どちらさんでしたか?」の問いに「何言ってるんだ!あんたの息子でしょう!」と怒鳴ってしまった。あの時「あぁ~?息子の顔を忘れちゃぁ~お終いだね」と笑った顔を忘れられない。そんな言葉が病気をさらに進めたかも知れない。後悔と反省は先に立たず。

  2. 思えば父親の生き方のコピーみたいな自分の部分に気が付く事がある。僕は外国航路には縁がないが「流浪の民」のような性格は非常に似ている。都会暮らしも田舎暮らしも経験しているし、北海道は僕の方が長いが父も居たところだ。絵描きの職業も絵付け師とデザインの違いはあれ、非常に似ている。最近では髪の毛も後退して額がだんだん広くなって来て年老いた父の顔にも似てきたから気味悪いくらいだ。嬉しく無いが、さらに幸せが長続きしていないところも似ているようだ。

  3. サツ人事件のニュースなどで、よく近所の人のインタビューがありますね。
    「普通のいい人でした」とか「挨拶もきちんとする」とか、
    ある日突然、ごく普通の人が加害者、被害者になったように聞こえますが、
    実際の刑事の聞きこみでは、「死んだんですか、そりゃ良かった」とか、
    「刑事さん、犯人を捜さないでくださいね」などと言われることのほうが多いんだとか。
    死んでまで、そんな風に言われるようには、なりたくないものですね。

    ※冒頭のカタカナは、変換ミスではありません。不穏当な単語が入ってるブログは、
    検索順位を下げられるとか言われてるので。
    それもまた、言葉狩りみたいでイヤらしい話ですが。

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