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ナンバー8がシナイ山(石版に10戒書かれた)

昨日の続きです。すいませんね、長くなって。

出エジプトでユダヤ人がモーセに人数不明ながらシナイ半島を40年うろうろして(たぶん地元に住む部族との戦争や和解の繰り返し)ようやく約束の土地カナンに来るのですが(その途中にモーセは殺害されたとフロイト他の学者は考えている)、実はカナンの土地に在住のユダヤ人もいて、エジプトからモーセの影響(一神教)を受けたユダヤ人、地元の習慣に根付くユダヤ人との間に対立が生じて、それが後に南のユダ王国、北のイスラエル王国の2国に分裂する原因を作ったと。

ユダ王国がBC586年、イスラエル王国がBC722に滅びる。フロイトはこのユダ王国のメンバーがモーセが引き連れてきた(またモーセの偉大な事蹟や伝承に支えられていた)エジプト出身者が多いとみている。その本人がいなくなっても(いなくなったらさらにと言うべきかもしれない)伝説は誇大に伝えられる場合も多い。彼らをレビ人ともいう。モーセ5書のひとつにレビ記もある。残念ながらバビロンへ連れて行かれて有名な「バビロン捕囚」でBC586年に国がなくなり、以降、第二次世界大戦後まで国なき民になるのですが。これをディアスポラという。

私は、世界史を習ったときに、モーセがエジプトを出て紅海を二つに分けて自分たちは助かり、追手のエジプト軍が海水で溺死、そしてすぐに約束の地カナンへ到着したと思っていたから(ハリウッド映画は全部これだ)「モーセと一神教」は強烈なインパクトを私に与えた。

シナイ半島をなぜ40年間も放浪していたのか?さらにモーセが亡くなって800年後に旧約と言われる聖書が編纂された。幾らでも粉飾や改ざんや追加や奇跡の事件を追加できる。フロイトは口による伝達(口承)の方が文字に残されたものより、より真実に近いとみている(活字は平気で嘘を書ける)。800年間という長きにわたる時間を経過して完成した旧訳聖書が改竄・作り話を多く含むことは当然考えられて、その中に紅海が割れた話も含まれるし、ひょっとしてシナイ山での10戒もモーセが口語(エジプト人であるから喋るの)が苦手で、結果、石版に文字を書きつけたのかもしれないとホームズなら解釈するかな?

自身ユダヤ人であるフロイトがモーセをエジプト人であり、彼はユダヤ人に殺害された。モーセの言う一神教はエジプト発の一神教の踏襲(アメンホテップ4世時代の)であり、その一神教の神も実はシリアで信仰されていたものだと書いた。彼らの信ずる神ヤーウェは火山の神・怒れる神で短気なモーセそっくりだ。一神教はだから、戦争の神とも言われ、現代までつながっていないか?

その後現れるイエスは最初から最後までユダヤ教徒であった。(BC4年か6年生まれ)。ユダヤ教徒の中でも貴族の多いサドカイ派、小市民のパリサイ派と一線を画したエッセネ派に属して、禁欲・独身・貧しさ賛美の派閥にいた。3派の中でも徹底性は一番だ。イエスの死後150年から225年を経て聖書が作られ、キリスト教はユダヤ人のパウロが「原罪」という観念を作り出した宗教といってもいいくらいだ。さらにパウロはユダヤ教の割礼(エジプトの習慣)を放棄させた。

フロイトの話に戻ると、彼自身ユダヤ人であるけれど、「ユダヤ人はモーセによって作られた」のではないかとも思っている。そして一番のテーマどうして人類に一神教が入り込んできたのか、その起源を実はフロイトは追いかけていたのだ。この一神教が後々、宗教戦争に発展したり、国つくりに利用されたり、狂信家を生み出したり、原理主義を生んだり、人びとの生死にまで大きな影響をもたらすことになる。科学文明の多くを生んだのもキリスト教があって初めて生まれたものだが、どうしてイスラムでは建築や化学以外に文明に寄与する科学理論が生まれなかったのか?

余談ながら、キリスト教徒やユダヤ教徒が絶対少数のローマ時代、ある皇帝が「彼らは平気で死んでいく、気味の悪い宗教だ」と言われていた。殉教である。イスラム教徒だけではなくて、一神教を信仰したり、教祖を崇めるとほとんどの人は殉教へ向かうのかもしれない。貧しい人・差別された人・病に伏した人が多く当時の新興宗教(ユダヤ教やキリスト教)へ入っていく。しかし、これはラジオやテレビを使って布教する現代アメリカのキリスト教の新興宗教にも言えることだ。日本でも活字や新聞による新興宗教の洗脳は続いている。どこまでも宗教は必要なのだろうか?

考えてみると、日本の義務教育に欠けているのは、ひとつは宗教の時間、もう一つは外交についてである。どちらも太平洋戦争で外交の失敗、観念的な天皇制の絶対化、精神主義だけの実質を伴わない科学的分析(鉄はいくらある、工場稼働はできるか、飛行機は何機ある、食料の補給線は確保されているか)など掛け声ではない冷静な分析能力を養う教育であった。宗教も各宗教の特徴や歴史的なつながりを主観をできるだけ排除して教える教育だ。布教行為は決してしないで。そうするといまの世界ももっと理解されて適切な外交手腕を発揮できる、そう思うのである。

きょうはここまで。日本の新興宗教や現代の原理主義者の自爆死が重なってきてうまく書けない。

  1. 宗教に限ってはいないが「道徳」を身に着けた者は規律を守る事ができる。前々職で営業所を立ち上げる役割を引き受けた僕は、既に人選されていた二人と仕事仲間としてスタートした。人員を増やし軌道に乗って来た頃、最初の二人の癖が出始めた。一人は外見は優しく、人畜無害な振りをし心中が見えない。もう一人は「悪名」の風貌と「粗野」なふるまいの棒頭。この二人の下には被害者が出るようになった。前者にはイエスマンが、後者にはパワハラ受難者がでたり、日常喧嘩が絶えなくなった。ところが後者の棒頭には特徴があった。年上には無条件で逆らわない彼なりの「道徳」を身に着けていたのだ。同年や年下とはとっつかみ合いに成るほど荒れても年上には猫の様におとなしくなる。彼が辞める時、皆ホッとしながら送別会も無かった。僕が選別をそっと渡すと鬼も涙していた。男兄弟の中で厳しい生存競争が彼の生い立ちをそうさせたのだろう。彼はまたどこかで棒頭をやっているのかも知れないが、少しは大人の道徳が身に着けばいいのだが。

  2. 第二次世界大戦の起爆薬「日本」も70余年で再びキナ臭い火薬が焦げる匂いも漂って来た。強行採決など国民の不在の国会で軌道を外れてどこに行くのか?心配だ。国会に無党派の国民の議席を最低半分は設けて欲しい。まず選挙で選出された国民代表の国民席に座る国民の採決を優先した上で「議題」にあげれば無駄な延長国会なども必要なく、軌道からも外れないと思う。肩に銃を担いだ兵隊が向かい合って真ん中の道を開け「どうぞお先に」的なポーズのビジュアルに糸井重里のコピー「まず総理から前線へ」と書かれていたのには苦笑した。

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