モーセはエジプト人?!(1)
正月、見るテレビもなく、レンタルでリドリースコット監督の「エクソダズ」(出エジプト)を借りてきた。つまらなかった。今日のブログは長く、明日もこの続きです。一神教の起源にまつわる話だから。
コトバンクから(世界史や映画はほとんどこれを踏襲している)
「モーセは紀元前13世紀頃のイスラエルの立法者・預言者。エジプトでレビ族(ユダヤ)の家系に生まれ、エジプト圧政下のヘブライ人を率いて脱出に成功した指導者。イスラエルの子孫の力を恐れたエジプトの王(パロ)は出生した男児の殺害を命じたが、モーセはパロの娘(モーセの命名者)に救われ、宮廷で成長した」
精神分析学者フロイトの遺作「モーセと一神教」を読む。エジプトで奴隷扱いされていたヘブライの民を約束の地カナンまで誘導した聖者となっているが、果たしてそうか?というフロイトの問題意識で貫かれた論文集だ。彼の命がけの本なので、神をも恐れずよく書いた。私の理解は10%くらいだけど。
モーセは実は高貴なエジプト・ファラオの娘の子供で、ファラオの「夢」に、娘が生む男児が彼と王国に危険をもたらすという予言によりナイル川に捨てさせた。それをユダヤ人が拾い育てたのだと。エジプト語のモーセmoseは単に「子供」の意味だ。Amen-moseは「アメンの子」。Mosesという場合( s)はギリシャ語への翻訳に際して付けられた。才能あるモーセはメキメキ頭角をあらわして高官に登りつめたエジプト人だ。世に流布している話はユダヤ人のモーセがエジプトで奴隷状態にあったユダヤ人を約束の土地カナンへ引き連れていった英雄である。
エジプト語の名前の持ち主はエジプト人であったに相違ないと多くの研究者は思っているのに、モーセ(エジプト語)の場合だけ、不思議なことにエジプト人という結論を引きだしていないのはどうしたわけか?フロイトの推理では「聖書の伝承に対する畏敬の念に打ち勝てなかった」「モーセという男がヘブライ人以外の何者かであったろうと考えることが途方もなく恐ろしいと思われた」。
ユダヤ民族の中で異民族のモーセを偉大な男として賛美するという不思議な構図があるとフロイトは言う。モーセは伝説によってユダヤ人に変造されたと考えた。さらにモーセはユダヤ人によって殺されたとも言う。フロイトもユダヤ人であるから、ここまで書くと同胞から自分への轟轟たる非難を覚悟して書いたのだろう。
旧約聖書はモーセ5書がメーンだ。創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記。モーセが生きたのは紀元前13~14世紀、旧約聖書の整えの開始がBC5~4世紀なので約800年の口承伝達・記憶による伝播期間がある。ある時点で、ユダヤ人にとってモーセがいつのまにかユダヤ人に変造されたと考えてもおかしくはない。さらに興味深いのは、一神教の成立だ。
エジプトはもともと多神教だ、それがエジプト人のモーセが突然、新たに一神教を作り出したのかどうか?そこでモーセが生きた時代を調べると、この時期、紀元前1375年に、エジプトで例外的な王アメンホテップ4世が即位して、これまでのエジプトの伝統や習慣をすべて捨てて新たに厳格な一神教を強制する、非常に不寛容な宗教が生まれ、偶像破壊が広がる。当然、既得権を持った神官や官僚は猛反発した。
アメンホテップ4世の死去で(17年間だけの政権)、エジプトは元の多神教の世界へ戻ったが、しかし一神教が全滅したわけではない。アートン教(アートンとは神の古語)という太陽神崇拝だ。当時、エジプトは南はヌビア、北はパレスチナ、シリヤ、メソポオタミアまで広範な領土を配下に納めて、違う民族をまとめるために普遍的な一神教が必要とされた(筆者注:一神教は抽象化されると国境を軽く超える)。
しかもファラオの妃の多くはアジアから連れてこられた。必要とした一神教の起源をフロイトはシリアから入り込んできたとみる。そしてモーセは実はアメンホテップ4世時代の高級官僚で、アメンホテツプ4世の死とともに反動勢力に追われてエジプトを逃げ出すことになった、それが「出エジプト」の物語なのだという。何人のユダヤ人を引き連れてカナンの土地を目指したかは不明だ。
モーセの素地にアートン教があったがゆえに、ヤーウェ神を創造できて、さらに割礼というエジプト人の習慣をユダヤ教に持ち込んだ。それもこれもエジプト人モーセであったからできたことだ。最後にモーセはなぜユダヤ人に殺されたのかという話だ。彼はコミュニケーション、特に話し言葉がユダヤ人と通じにくい(エジプト人だから)。モーセの横に通訳が必要だったという説もある。(吃音ではなかったかという説もある)。そこで出てきたのが石版に書いた10戒。書かないと意思伝達が苦手であって、何かの不都合で殺されたとみる。シャロックホームズなら「実は彼の素性がエジプト人であることがバレて殺された」と推理するかもしれないが、びっくり仰天する本をフロイトは最後に書いたものだ。
このフロイトの論文はロンドンで書かれた。ナチス台頭のウイ-ン時代の素案に手を加えたものだ。1938年。ユダヤ人がナチスから迫害されて虐殺されてる環境の中で書かれたのだから凄いと言わざるをえない。
なぜ私はこの話題を書いたのか。どうしても一神教の起源を知りたかったから。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教における神は名前こそ違え、同じ一神教の神だ。モーセの生きた時代の異端であった一神教が1000年後、3つの一神教の祖先になったのかもしれない。これらの宗教が今後、多神教へ変わり得る要素はないのか?(余りにも人の血が流され過ぎの宗教だ)。そんなことを筆者は昨今考えていた。イスラム教も元々各部族ごとの宗教があってそのたくさんの神々がいる多神教に近いものであったし、キリスト教が来る前のアルプス以北も多神教であった。布教する土地の習俗や習慣を尊重しないとキリスト教信者は増えなかったのだから。それにしても中東の地図で見ると狭いエリアで発生したローカル宗教が世界に蔓延するなんて誰が当時考えただろうか?
発生した事件を追認するだけのマスコミ報道には辟易していて、解決する別な切り口はないだろうか、血が流されない穏やかな社会にならないものか、無垢な子供や女性や老人が犠牲にならない世界を構築できないか、そのために、人間の長年の習慣を見直す必要が「共産主義」も宗教の一つと考えれば、中国や北朝鮮、ロシアをも包み込んだ新しい世界を自分の孫たち世代へ送れる夢が広がると妄想してきた筆者である。
あす、もう1回続編を書きます。
参考文献 モーセと一神教(ちくま学芸文庫 渡辺哲夫訳) 一神教VS多神教(朝日文庫 岸田秀)
昔の少年
僕が実家を離れ勝山市の全寮制の高校に居た頃、久しぶりに一人で福井市内に遊びに行った時、偶然に会った父から「映画でも見るか?」と誘われて当時新作の「エクソダス」を観た。父は仏教僧の倅でありながら東京ではクリスチャンであったりもして最終的には無宗教の人だったようだ。あの映画は当時としては海が割れるシーンが話題になったものだ。僕も特撮の技術の凄さを味わっていた記憶がある。今ではCGでどんな事も出来る時代だが、当時はどんな技術を使ったのだろうか?僕の映画の見方も、その頃から変わって来た。西部劇を見れば空撮の飛行機の影や荒野に自動車の轍を見つけたり、舞台裏を覗きたくなる。つまり映画は娯楽で非現実の世界に入り込んで楽しむのが一番なのだろうが、現実を探してしまう悪い癖が身に着いたようだ。従ってそのきっかけになった「エクソダス」も観た事は事実でも、特撮部分に感心してストーリーなどは何故かしっかり覚えていない。宗教戦争は今も血なまぐさい現実だが、宗教を映画化した当時の制作者は、どれほどの勇気があったのか?それとも信仰心からか?ビジネスか?・・・また裏を知りたがる悪い癖だ。