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私のブログで何回も登場していただいた、老子の自由訳を紹介せてもらった英文学者の加島祥造さんが昨年12月25日に死去された。享年92歳。追悼もこめて紹介します。

「老子と暮らす」(光文社知恵の森文庫から)知識と知恵について書かれた詩及び散文です。203p~204p

あるがままの自分を

他の人を知るということは、「知識」である。

それは、自分から外へ向かった「頭の力」だ。

しかし、自分を知るということは、

自分の内に向かって働く心だ。

だから、他人というものを支配するには、

知識の力ですむけれど、

自分に深く入って自分を知るのには、

もっと大きな能力必要なのだ。

言いかえると、

外に向かってふんばって人を支配したり、

富を築いたりするのには、

強い意思の力が必要だ。

だが、内側に目を向けるときには、

あるがまま今に自分を受け入れることだ。

すると、そこに本当の豊かさがみつかる。

その時こそ、自分のセンターにあるのは、

タオを受け継ぐ自然のエナジーなのだと知る。

そのエナジーは、永遠に伝わっていくものだ。

これが、永遠の今であり、それは君の肉体が死んでも、滅びないものなのだよ。

 

今あげたのは、『タオ・・・老子」の第33章。この章のテーマは、自分の内なる世界と外の世界の差ということです。つまりこの違いが、知恵と知識の違いになるわけです。内に至る道は、無名への道、知恵の世界への道。その道は、”永遠の今”につながっている。その命は滅びない・・・・・。老子の思想の骨格の表現です。≪内側に目を向けるときには、あるがままの今の自分を受け入れることだ。すると、そこに本当の豊かさ(=自分の潜在能力)がみつかる。これが本当の富なのだ」と、僕は訳しています。これは前にお話しした”自足”と同じ内容ですが、原文をくりかえせば、≪知者富。足るを知る、それが富≫というものです。(原文ママ)

  1. 富も支配もほとんど皆無の世界に居る僕などには当てはまらないが、どんなに歳を重ねても時折「これでいいのか?」と自省する事は必要な事だと思う。魂とか御霊とか昔から言われている、肉体や活動している細胞以外の超現象は実際に有るようで、この分野を真剣に研究している科学者さえも世界各国には存在する。自分が納得できない不思議な事象は信じないのが人間で、全て現在の自分を基準に物事を決めつけている。しかし宇宙も、その一部の地球そのものも、その中の生物も不思議な存在で、中でも人間は更に不思議な事に文字や言葉や態度で独自の意思疎通を図っている。仏教などでは死者の魂が成仏すると表現されたり、魂は死なず永遠に生き続けているなどと表現される事もある。「金縛り」や「幽体離脱」的な超現象を何度も経験済みの僕をはじめ、頭部を強打して一時意識を無くした友人の話などを聞いても肉体から離れた自分の存在を知る事がある。絶えずこんな風に別の角度からも自分を見つめられたらいいのだが、生きるための心と、自分を確立している心の中の魂も見直して見たいが、今朝も鏡に映る表面上の自分に「自問自答」するくらいしかできないのが現実?だ。

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