ペストの歴史(3回目)
1348年イングランドにペストは上陸した。ロンドンは人口10万人。しかし、市街地の飲料水は不潔、風通し悪い街並み、不衛生な環境の町であった。テムズ川も汚物で詰まり、下水として機能をしていなかった。黒死病は全イングランド征服に500日。侵攻速度は一日1キロであった。
当然、スコットランドへも伝染していった。1350年であった。しかし、ペスト菌の耐性温度がマイナス2度(1回目に書いている)なので寒いスコットランドは大流行には至らなかった。
アイルランドのダブリンは8月というペスト菌が繁殖しやすい気温での流行で14000人死亡。ダブリン大司教も命を落とした(1348年8月)。
大陸のウィーンはどうだろうか。人口5万。通りも狭く木造の住宅、舗装もされていない。
「伝染性の疫病はやがてウィーンのその市域全体に及び、結果として無数の人々が死亡し、ほとんど三分の一の住民だけが生き残った。遺体の発する悪臭と嫌悪感から、それらは教会附属施設の墓地に埋葬を許可されず、死亡するや市外にある共同埋葬地に運搬しなければならなかった。そこでは短時間で五つの大きな深い穴が縁まで遺体でいっぱいにされた。疫病の流行は聖霊降臨祭から大天使ミカエル祭まで続いた。・・・・修道士や修道女も容赦しなかった。なぜなら53名がそのとき死亡したからだ」(ノイベルク修道院年代記」同書59p
ペスト菌はドイツ、ノルウエー、スウエーデンへ。フィンランドに伝染したがグリーンランドは免れた、低温と人口がまばらだかったから蔓延しなかった。そしてロシア全土へ蔓延してから突然消滅する。しかし、それはペスト菌がどこかに常在しつつ表面化しなかっただけで18世紀、19世紀まで流行の波が押し寄せる。
実はこの本の「ペストの歴史」には、ユダヤ人問題が出てくる。著者が書きたかった大きなテーマが読んでいてわかってきた。それは第3章「中世人の反応」。「黒死病の流行でみえるもっとも顕著な反応は不安と恐怖であった。それから逃れるためにおこなったのが憂さ晴らし、逃亡、他者への迫害、自虐的な内省であろう」。自虐的な内省は有名な鞭打ち苦行集団で、街から街へ集団で練り歩き、上半身裸になって鞭で叩きながら、災いを止めるよう神へ祈る言葉を唱え放浪する。北フランスとフランドルで多いときで80万人の参加があったというから驚くべき数字だ。
しかし、同時に人々は黒死病の不安と恐怖から、ユダヤ人への迫害に向かった。井戸に毒を撒いたという噂を流しては迫害した。ユダヤ人は5世紀にはヨーロッパに住んでいて隣人と問題を起こすことがなかったが、カトリック教会が11世紀以降、ユダヤ人への禁止事項を決めたのである。(1)公職への就業禁止(2)カトリック教徒との共住禁止(ユダヤ人だけで住む街ができる、ゲットーだ)(3)村落への居住禁止(土地を持てない、農業ができない)(4)土地の取得禁止(5)ギルドの加入禁止(モノづくりを生業にできない)(6)ユダヤ人を示す黄色のユダヤ人章の携帯義務。ユダヤ人が生き延びれる仕事は行商、古着商、金融業しかないようにすでに11世紀にカトリックによって決められてしまっている。イエスを殺したのはユダヤ人(イエス自身はユダヤ人でユダヤ教徒である)であるからという理由で迫害もされた。
数少ない王様がユダヤ人迫害を止めるようお触れを出しても止まらない。アラゴン国王や教皇クレメンス6世など。1349年、有名なストラスブールにおけるユダヤ人虐殺事件が起きる。1800人余のユダヤ人を捕まえて、キリスト教への改宗を迫り、応じなかった900名を穴に放り込むホロコーストが起きた。しかし、そういう中でもオーストリア大公アルブレヒト2世とポーランド国王は迫害を最小限に食い止めて、ユダヤ人はその保護を求めて移動した。
ペストの歴史4回目は2月4日掲載予定です。
昔の少年
やはり歴史は繰り返していた。我々の身近に伝染病の脅威は未だ消えていない。新しい処では、感染症「ジカ熱」が、今ブラジルを中心に中南米各地で大流行している。米国やヨーロッパでも中南米からの帰国者に感染例が見つかり、日本の厚生労働省も注意を呼び掛けている。世界保健機関(WHO)によると、アフリカ中部ウガンダの森林で1947年、初めて原因となるウイルスに感染したサルが確認された。その地名にちなんで「ジカウイルス」と命名された。これまでは主にアフリカ、東南・南アジア、オセアニアなどで感染者が確認されていたが、中南米では感染例はあまり見られなかった。中南米で感染が拡大した要因としては、人々のウイルスへの耐性が弱く、気温や湿度の影響でネッタイシマカのような媒介する蚊が広く生息していることが挙げられる。蚊がジカウイルスの混じった血を吸い、その蚊が他人を刺すことで感染が広がっていく。3~12日の潜伏期間を経て、発熱や発疹、筋肉痛や疲労感などの症状が出る。デング熱などに比べて症状が軽く、4人に3人は感染自体に気付かない。重症化や死亡例の公式報告はない。妊婦が感染すると、大変なことになるようだ。ジカ熱は、先天的に頭が小さく、脳の発育が不十分になる「小頭症」との関連が疑われていて、ブラジルでは、感染した妊婦が産んだ新生児が小頭症を持つ報告例が例年比で大幅に増えているんだ。両手足のしびれや力が入らなくなる神経障害「ギラン・バレー症候群」との因果関係も指摘され、研究が進められている。有効なワクチンや抗ウイルス薬がない。だから、対症療法に頼るのみ。媒介する蚊に刺されないよう、肌の露出を避けるしかない。厚労省によると、日本ではこれまで、海外の渡航先で感染し、帰国後に発症した「輸入症例」が2013年以降に3例あるが、国内での発症例は報告されていない。ただ、ブラジルには8月のリオデジャネイロ五輪で大勢の日本人が渡航すると予想され、日本でも感染阻止に向けた動きが強まっているようだ。北海道の冬は気温も低く蚊や虫類の活動は夏場に限られているが、人から人へとなれば危険性は十分にある。伝染病も今はやり言葉の「インバウンド」にならないように。