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道庁赤レンガ2階

北海道開拓使時代の赤レンガ庁舎2階に「どうぞ自由におさわりください」というアンモナイト化石が展示されている(写真)。もともと大陸は海の所有であったから、貝の化石は地上最高峰のエベレストでも発見されるわけで珍しいことでもない。

この化石も石炭層が多いところから掘られたのだと思う。学生時代、山の測量のアルバイトをしていたとき、沢歩きをして目的地まで行く。この方が楽に行ける。途中、川に丸い石が転がっているとそれを少し強く叩くとすぐに割れ、化石が出てくる。巨大な貝が、あちこち海の中を動いている光景を想像すると、まさかそこが地上になって自分たちが陸に上がるとは彼らは思っていなかったのではとしばし太古の昔を思う。

大陸が急な隆起を遂げた時代を想起する。山歩きは約1カ月、測量する山の近くの町で旅館暮らしをする。元炭鉱町の旅館に「アンモナイト風呂」があった。今思えば、写真を撮っておけばよかったと後悔している。幾つものアンモナイトの巨大な貝で浴槽が作られていた。「これだけの数のアンモナイトを主人が山で探して運んできて、コンクリートで固めて作った」とおかみさんが言う。1カ月間、贅沢なお風呂に毎日入っていたわけである。

考えてみると、石炭も石油も鉄鉱石やウラン・ダイアモンド・金やすべて自然からの贈り物で何一つ人間の知恵や知識では作れない。生きるために必要な酸素さえ実はそうだ。土地だって自分で作ってるわけではない。たまたま先に住んだだけで大金持ちになったり、小作人になったりする。自然からみたらあずかり知らぬことである。身を横たえてサヨナラするときは、畳1畳もあれば十分だ。

学生時代にススキノのスペイン酒場へ連れていってもらったことがあって、そこに日系3世のブラジルから来た留学生メルセデスという女性がいた。コーヒー園で大成功を収めた日系人の娘で地平線の向こうまで親の土地。雨の日は広いコーヒー園を見ながらカント哲学を読んでいたと。隣にドイツ系のブラジル人がいたが、メルセデスの前で小さくなっていた。財力の違いが階層意識を、態度を傲慢や卑屈にさせるのだと思った瞬間だった。私はドイツ系の女性が上で日系は下層だと思い込んでいたが、現実は経済力の差が現実の階級差として目の前にあった。40年前の話だ。アンモナイトの化石を見ると小柄なメルセデスを思い出す。少し惚れていたのかも。ちなみに、山歩きバイトは1カ月12万~13万。食事と宿泊費ゼロだ。しかも社会保険まで付けてくれた。ススキノで遊べるわけだ。1年の授業料が1万2千円の時代。

  1. 昔はいろんな事がありましたね。繁華街のクラブでバンドマンやったり、或る時は朝日新聞の勧誘をやったり、食えない時とやたら贅沢な時が混同していました。冒険しながらジグザグと生きてきたものです。怖い物知らずで面白い青春時代だったと今思いますね。特に昔の札幌は、今よりずっと人情が厚い時代でしたよ。大阪から来た僕はそう感じました。が、今では北海道弁もほとんど無く、むしろ関西弁やアジア圏の言葉をよく耳にしますね。地球環境の変化とともに僕たちの身近な環境もすっかり変わっている訳です。あの頃の贅沢な美味しい味噌ラーメンも今では味わえません。ラーメンくらいは変えないで欲しいものです。

  2. 昔、ジープで三笠の山中にハンマーやツルハシを積んでアンモナイト探しに行きましたね。伸びた小さなものは沢山ありましたが、大きなアンモナイトにはお目にかかれませんでした。でも子供たちはワイルドな遊びに喜んでくれました。最近その時の息子が今度は子供たちを連れて三笠に行ったようです。やっぱり大きなアンモナイトは持ち帰りませんでした。北海道は海の中だったとしたら、また海に戻るかも知れませんね。プレートの下にもぐってしまったら今度は我々が海の底で化石で発見される時代が来るかも知れませんよ。

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