悪口の二日酔い、アル中について。
斉藤茂太さんの「モタさんの言葉」に出てくる。私は下戸なので飲んだら寝てしまう。愚痴を言う前におやすみなさいだ。
昼間、楽な仕事をしていて内勤事務や制作室で仕事をしている人が、体力を持て余して、飲み屋に入ると愚痴だらけというのが多かった。たまたまJRで同じ駅で下車する3人組だったものだから、駅中飲み屋で愚痴、自宅前の駅の居酒屋でまた飲み愚痴。よく出るわ出るわ。肩書きと給与についての不平不満が多かった。営業に出ても2度失敗、そのたびにノイローゼになり、最後は営業を脱出して総務に納まり、1年間だけ役員をして新社長に解任された。
「悪口の二日酔い」というが、底意地悪い、嫉み・嫉みの混じった悪口は横から聞いていて人品卑しさを露呈するだけ。社内にアルコール中毒患者が3人もいたが、態度の手のひら返しは凄いもんだ。ススキノで大事なスポンサーにケンカを売って、次の日お客から殴られて青い目をして出てきたのもいた。役員を怒鳴りつけて目が座る人もいた。「やめちまえ、この野郎」とね。当時はアルコールについては寛容な会社も多く、いまでは考えられないほど大甘である。
私の在籍した会社もそうであった。マスコミという得体のしれない業態は仕事と遊びの区別が曖昧になりやすいし、飲み代を交際費に繰り入れる頻度も他業種からみて異常に多い。「仕事をこんなにもらっているのだから」と返礼する習慣であったし、広告担当者が暗に「酒を奢れよ」という酒好きや「ゴルフ接待」要求も出たこともある。そういう意味で酒も飲めず、ゴルフもしない私は営業失格かもしれない。最悪はキックバック要求で、何人も首になっていた。ニュースにならないスキャンダルだらけだ。どこもそうだと思うけど。その波に呑まれず、プカプカ浮いて生きるためには丁寧に生きるしかないと思う。
アル中患者の発言は、実はかなりの部分、確信犯的な(本人は何を言っているか知っていながら)話していると思うがどうだろうか。モタさんは悪口は言った本人にもイヤな後味が残ってしまう、両刃の剣だと。私のブログも愚痴や悪口が多いから反省を強いられる話だ。言葉は結局自分へ帰ってくるもので、他人へ話してる言葉を自分自身も聞いていて、時に喋った後「しまった!」と思うのももう一人の私が、どこかにいる良心みたいなものが反応するのだろう。
しかし、この本には書かれていないが、タチが悪いのが、「昨夜、Aさんがあなたのことを〇〇〇と悪口を言っていたと」告げ口をする輩が多いことだ。これが「Aさんがあなたのことを褒めていたよ」と言えば、職場環境好転に貢献するんだけど。なかなかこの心境に達するまでに時間と勉強が要る。わかったと思ったときは定年が目の前だ。
昔の少年
「悪口」にも、「楽しい悪口」と「醜い悪口」があるが、酒の勢いでモノ申すは、普段鬱積した心の表現で意外におとなしい人が豹変したりするから驚く。僕も下戸と思われているから、皆んな知っていて2杯目からはウーロン茶が出て来る。従って「愚痴や悪口」を聞く方になる。そんな時は逆らうわけでもなく、同調するわけでもなく、「そうなんだ~大変だよね~」と繰り返すようにしている。酒席での会話は下戸にはきつい。同じことを何度も繰り返したり、意見に賛同を強要して「そうだろう?そうだよね」と執拗に絡まれるのが大嫌いだ。そのうえ帰ろうとすれば引き止め、「酒も飲めないやつはダメ男」と言う本人の方が「酒に飲まれたダメ男」の代表とも気づかずに、これで最後かと思えばまたハシゴ。終いにはシメにラーメンだ焼肉だ、ウナギだと言い出す始末。血圧だ、糖尿だ、痛風だと言いながらもお酒の魔力にどっぷり。気持ちの良い笑顔の酒席で終われれば最高の一日のシメになるのだが・・・。