沼に映える緑

 

「グローバリズムはイデオロギーと書いた。イデオロギーとは、イズムは歴史上、単独で存在したためしはない。イズムは必ず、先行する理念や方法へ対抗する形で表れてくる。イズムは敵を必要としており、それらを打倒する新しい原理として現れる。だから、それらは必ず、闘争的になるか、ニヒリズムのようにすべてを否定する言辞によって表現される。」(平川克美 『グローバリズムという病』・東洋経済新報)

企業経営でよくあるのは、新しい社長が就任すると、前の社長の取り巻きが背景に退き、自分のイエスマンを配置する人が多い。イエスマンが先代以上に能力が高い場合は社員にとっていいことではあろうけれど、能力がないけど、やる気だけがある人物が一番困る。早く成果を出したがるので、下手したら、病人続出だ。筆者のいた会社も社長が交代したら、うつ病患者がばたばた出た。引用した平川さんの「イズムは必ず、先行する理念や方法へ対抗する形(たとえば人事。筆者注)で表れてくる。イズムは敵を必要としており、それを打倒する新しい原理として現れる』。

ここは、何度も何度も繰り返して読む価値のある3行だ。先代の社長を気持ちの中で打倒したいのだろう、そうしないと実質上の社長になれないからだ。だから4~5年経過すると、「この人の社長生命はあと〇か月。次はあの人が社長だ」と鞍替えしていく社員がたくさんいた。どちらに転んでもいいような生き方ができるアメーバー的人間も多い。新興宗教も一つのイズムなので必ず敵を欲する。外に見つからなければ中で作る(組織をまとめる生け贄として。俗称裏切り者)。そして戦いたがる。戦うことで集団はまとまる。まとまるからそこが居心地がよくなる。彼らと飲む酒は美味い(イスラムはアルコールご法度だ)。昔の学生運動華やかなりしころ、外の敵を見失い内ゲバへ走ったセクトもあった。

人類の歴史がこのイズムの交代劇と凄惨な虐殺の歴史から、読み解くことが可能なほどだ。〇〇〇〇イズムは要注意な日本語である。いつになったら静かな平和な時代が来るのだろうか?

 

  1. 広告代理店を4社。転職のたびに味わった人間関係。最初の一社では社長交代劇に遭遇。二社目では何度も社長交代劇に遭遇も然ることながら、自分が支店責任者となる際の支店長交代でも嫌な経験がある。三社目では社長交代直後の入社にも関わらず僅か7年の間にまた社長交代劇を二度も見、そして自分が支店責任者から身を引いて新任に交代後の数年間は精神的にも悪い職場環境となった。四社目では自分が社長と旧友の仲と言う事で、陰で社員たちから敵対視されてしまっていたようだ。経営上、丁度リストラを必要としていた事もあり、自分では絶えず中立の立場のつもりも、社長から見れば僕の存在価値はあったのかも知れない。社長や支店責任者の交代のたびに社員の人たちの性格が現れ、見方によっては面白かった。交代の瞬間から踵を返して「へつらう人」。内股膏薬のように「あいまいな人」。「我、関せずの人」。気の毒なのは新任者にベタベタとくっついて利用されたあげく突き放された人達だ。S氏もその一人で大口クライアントをそっくり身包み剥がれて「ハイ!さよなら~!」と辞めさせられ50歳後半にして路頭に迷うはめに。彼もまた人が良く、僕が在籍中には先を読んで忠告していたが忠犬よろしく飼いならされていた。また、貴方のためならケツでも舐めます的な男芸者のK君もお酒以外に別段とり得がなく、最後は陰湿ないじめに逢って欝病で辞めた。営業で昔やり手だった大男のG君もいじめに逢っていたので僕が転勤させて救った。この最後の二人(K君とG君)をいじめたのがS氏と新任責任者だから信じられない。結局、誰一人新任責任者からも信用されずに、利用された挙句に切り捨てられた事になる。つまり、救世主と思ってすがった相手が、実は敵だったわけだ。しかも敵だと思い一緒になっていじめた相手は、実は自分と同類だった。自分を持たない人達の狭い世界での悲しい話だ。僕にも彼らのような人達を救う事は出来なかった。

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