イソップ物語(2) 「アシとカシの木」とパスカル
カシの木が風のために根こそぎにされて、川の中に投げこまれました。そして流れていきながら、アシにむかってこうききました。「おまえたちは、よわくてひょろひょろしているのに、どうしてつよい風にも根こそぎにされないのだ?」するとアシはいいました。「あなたがたは、風にはむかってたたかうから根こそぎにされるのです。わたしどもは、どんな風にも頭をさげるから、ぶじでいられます。」(イソップのお話 岩波少年文庫142p)
このお話は賛否に分かれるところです。強いものには逆らわない、長いものには巻かれろという教訓になって読み取ることができます。日本でも竹は固いが強い風でぽっきり折れやすいとか、葦(あし)は揺れてゆらゆらして強風に強いのは、根をしっかり張って生きてるからだとか洋の東西を問わず、こういうたとえがあるのだなあと思う。葦といえば、有名な数学者パスカルの「パンセ」に出てくる葦。「人間は一茎(ひとくき)の葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすためには宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。まぜなら彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢を知っているからである。宇宙は何も知らない」。(パンセ)しっかり張る根は、ここでは「考える」という営みになっている。
ただ、生き延びる知恵として、「丁寧に生きる」ことは、自分の子供たちへ伝えておいた方がいい知恵かもしれない。これは人間関係づくりで、日々苦労をしている現役のサラリーマンやOLの方々、自営業でたいして儲からないが、下げたくもない頭を垂れて生きているたくさんの庶民に送るエールとしては、かなり高度な生き延びるエッセンスだと思う。私の周りを見ていて、たくさんの友人に囲まれていい仕事や日常を楽しんでる人の共通点は、この知らず知らず、丁寧に生きてる人たちだ。企業活動でも外交でも近所付き合いでも男女の交際でも一番大事なことが「丁寧に生きること」だろうと思う。上記のイソップに出てくるアシは筆者は余り好きではない。職場でこういう人間を飽きるほど見てきて、アレルギー反応を起こしたからかもしれない。実はまたパスカルのパンセで言う「人間は考える葦」も好きなセリフではない。人間の傲慢さが、ほかの生物や自然からみて、露骨に表明されてるみたいで。そんなに人間ってえらいか・・と突っ込みを入れたくなる。でも17世紀フランスにそう言って、39歳独身で亡くなったパスカルがいた。
iida
父「龍之介」は柳に風のように生きた人でした。若い頃、長男でありながら田舎のしきたりには逆らい、家を出て京都、神戸、外国航路の貨物船、陶器職人で全国各地、東京で陶器の会社開業も遊び人で、東京湾で、のんびりハゼ釣りをしていて戻って第二次世界大戦の真珠湾攻撃を知ったそうです。長男は予科練に志願するも、人殺しが嫌い?な彼は母の兄弟が経営する下町の軍需工場で監督をして兵役を逃れたようです。そんな父も東京空襲で財産をすべて失くし田舎に舞い戻って農作業や林業や炭焼きなど、田舎の人の半分の働きをしながらも俳句や短歌や絵を描き、鮎釣りなどして風流人を通していました。田舎では浮いた存在に見えた彼も、5人の子供を育てるための精一杯な生き方だったのです。幼かった僕も戦争を避けて生きてきた彼を恥ずかしく思った事もありましたが、後には、その生き方を教わったものです。何でも半分づつ。僕の仕事半分遊び半分主義はそんな彼が残してくれたたった一つの財産でした。