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長年、サラリーマン生活をしながら二足のわらじで小説を書いてきた源氏鶏太(かく言う筆者は彼の小説を1冊も読んだことがない)が言った言葉。ふむふむ・・、ほとんど運・不運の世界と思うけど「良い上司」ってどういう上司なのかは異論が出そう。とりあえず、自分に加点評価をしてくれる、タダ酒を飲ましてくれる、何でも相談がしやすい、上司がトップとツーツーで自分のことを高く評価、出世が早いと予測される(これは残念ながら男の論理かもしれない)。同僚も自分の足を引っ張る人が少なくて、のびのび仕事をさせてくれる。

しかし、たくさんのサラリーマン(自分を含めて)と接してきて、こんな理想の生活を送ってる人は皆無だ。終身雇用の時代はそれでも家族的に楽しそうに仕事をしていた感はある。フラットな人間関係で。思うに、いつの時代も『幸せな生活』って絵に描いた餅(餅があるだけいいけど)で、世の中にはないなあと思うこのごろ。真実は『棺桶に入るまで生きて行くのは大変な大事業だ』ということ。その隅っこに会社があったり、上司がいたり、同僚がいるので逆ではない。

足元の家庭がグラグラだったり、夫と妻や親と子供たちにいざこざあれば、どんなに良い上司がいようが、同僚にに恵まれても、幸せなサラリーマン生活は送れないと思うがどうだろうか。個人的な意見だが、どうも人間は何でもモデルがないと安心して生きられない、ゼロから生き方を作り出すのは不可能で、私の書くブログも誰かの科白をちょっと失敬させてもらうこともある。そもそもブログも世界や世の中の趨勢に乗っているだけではないかとさえ思う。普通の媒体に普通の発言が普通の人の手で書かれてある世の中が素敵だと思うが。生きるだけで大変なんだから。「本ばかり読んでるとバカになるよ」と昔の親は言ったものだ。読書の弊害もあるのかもしれない。カラダで覚えろだね。

しかし、自分の父親がサラリーマンなら、毎日、疲れた体や赤い顔で帰宅。背中に哀愁を帯びていて、子供からみて、どうも世の中はつまらないのかもしれないなあと予測される。せめて、帰宅のときは元気よく「ただいま」とドアを開けると未来の子供たちへ希望を送ることにつながる。

話を戻すと源氏鶏太さんのサラリーマンの生活の幸せは『いい会社に勤めるよも良い上司に仕え、同僚に恵まれること』とあるけど、馬鹿話をいつでもできる環境は最高の職場かもしれない。バカ話をする能力ってすごい。以前勤めていた会社で、朝から前日の野球の話をしたら『ここは職場だよ。仕事をする場所なんだ、朝から無駄話はしないでもらいたい。会社を勘違いしているんでは?』と注意されたことを思い出した。スポーツ音痴の上司であった。自分の嫌いな分野の話に特に敏感だ。しかし、ススキノの飲み屋の話には乗ってくる。私は営業数字の世界が嫌いだった。良い上司、気持ちのいい同僚はたぶん生涯の財産になるからゆめゆめ裏切らないよう心がけてお仕事お励みください。

経営者については、なったことがないので書けません。

筆者のブログ読者の年齢がここ1カ月間で33歳~44歳が25%になってきて、60代を超えた。

  1. 弟子入り1回、サラリーマン6回、自営3回。長いサラリーマン生活は28年、短いサラリーマン生活は2年。サラリーマンを辞めた原因は、短い間に辞めた原因は人間関係からくるストレスと賃金や待遇。長い時は倒産。どれをとっても波乱万丈だった。良い上司はそれほど居なかったが、極悪上司はいっぱい見て来た。良い同僚は上辺だけで、内心は判らない奴ばかりだった。むしろ、それが人生勉強にもなった。お蔭で嫌な営業活動も楽しくなったものだ。つまり社内に嫌な奴が居れば居るほど、外で会う人がどんなに酷評高くても耐えられたし、むしろ社外の方が快適だった。他人には出来るだけ良く接してあげるよう心掛けていたが、返してもらった試しは、未だにない。

  2. サラリーマン嫌いのサラリーマン

    大阪でデザイン修行中の時、高台にある大先生のアトリエの真ん前のお宅が源治啓太の妹さんの家族が住んでいた。アトリエの庭の芝生の水撒きは僕の仕事で、妹さんとは庭先同士であいさつを交わす程度だった。4年ほど居たが、源氏啓太らしき人物には一度も会ったことはなかった。当時、彼は売れっ子で遊びに来る暇もなかったのだろう。サラリーマンではなかった僕には彼の小説のテーマも興味が無く、一度も読んだことは無い。僕がサラリーマンになったのはそれから5~6年後だった。当時は同僚と喧嘩したり、上司に逆らったり、決してまじめなサラリーマンとは縁遠かった。小説のモチーフとしてはイケたのかも知れない。

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