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北国に長く住んでいると、冬の到来は待ち遠しくない。昼はどんどん短くなり、4時になると暗くなり、ネオン街でも行かないと憂鬱になる。ある本を読んでいたら、季節性情動障害の一種で冬季鬱という単語が出てきた。

症状は、気力の低下、倦怠感、過眠、過食、全身倦怠で炭水化物や甘いものを欲し、太る傾向がある。まるで冬眠前のヒグマ状態だ。北国に住んで、スノボやスキー大好き、冬山登山を恋焦がれているのは私の身近には誰もいない。「また嫌な季節がやってくるね」と知り合いと言葉を交わす。

その後、「しかし、雪が積もらないと夏場は水不足になるし、農家が困る」続いて「雪まつりの雪がないと困る」という話にはならない。札幌近郊のどこからでも雪を運んでこれるからだ。札幌市民は雪まつりより、ホワイトイルミネーションの方が好きだ。私がアンケート調査をしたわけではないが、上品で静かでロマンチックな夕方4時から点灯される風景の中を歩く時間を好む。

「冬期間の鬱」の話題だけど、ネオン街が恋しい、ホワイトイルミネーションに人気があるのも、光や太陽への強い憧れが9月末日から2月まで(時には3月初めまで)続く。北緯45度の札幌はわずかにローマより北で、アメリカボストンの緯度くらいででNYより北にある。太陽の光線と精神病との関係って、相当深いと思うが、私の読んだ範囲では北国は分裂病、南は躁うつ病が多いと書かれてある。

ノルウエーの画家ムンクの「叫び」には北国の人の心象風景が出ている気がする。学生の頃、一人旅で寝台特急「日本海」で金沢へ行き、福井の永平寺や京都まで足を伸ばして、再び金沢へ。そして軽井沢を通って東京に戻るが、2月という季節もあって、山越えをして表日本(こういう言葉遣いではなく太平洋側と言うらしいが)に出たときのお日様の輝きには、裏日本(日本海)とは全然違うと思った。日本の背骨・日本アルプスが日本を二つに分けていると強く感じた。

それは物理的に地形的に分断されてるというのではなくて気分まで寸断してしまうと感じた。長い冬をじっと春が来るまで待つ習慣が身に着いたお年寄りの我慢強さは、雪との戦い・照射不足・寡黙さ・職を求めて正月や盆、誰かの危篤以外は帰郷しない子供たちへの諦め感もある。そうした総合的な心象風景から、冬季鬱は発生するのかもしれない。

私の兄は22歳から、妹は27歳から札幌を離れている。「雪のある北海道には住みたくない」とはっきり言う。5月~10月まで住むだけならいいけれど。それも観光で。自分の生まれた土地が観光地としての認識に変わっている。彼らも、無意識に冬期間の鬱を体で知っていて、躁の世界へ逃げたい、日の燦々としたところへ戻りたいのでしょうね。妻も最近、体力の衰えとともに、ことしはいつになく積雪が少ないが、暖かい大分へ、娘の近くで部屋を借りて住みたいと夫婦ケンカの後に言う。しかし、本州の室内は寒い、超寒い。壁は薄く、窓は二重になっていないから冷たい風が入る。北海道の家の中は、外は寒いが屋内は熱帯気候だ。どちらを選択するか。

京都・神戸で8年、大分中津で7年過ごしている娘に北国の冬の鬱陶しさを話すと「良くわかる」と。本州の鬱蒼しさは、親戚や縁者のしがらみからの鬱陶しさで、原因が違う。

最近のうつ病記事は、都市化した中で、人間関係に偏り過ぎて、外の天気や日射時間にポイントを置いた解説が少ない。北国の人の鬱は、広い大地があるんだから、できるだけお日様を浴びて、青空があればそれをじっと眺めて、子供の頃に楽しかった思い出を何回も思い出すよう工夫しなさい・・・でいいのでは?少しで待望の4月、春だ。庭のバラの蕾も膨らんできた。

  1. 豪雪地帯の北陸に住んでいた僕は、北海道の雪は軽く除雪作業もラクで、街の景色も美しく、冬はスキー三昧、スケートと、来た当初は天国のようでした。長く住むようになって最近はこんな雪にもてこづっている自分に気づきました。冬のスポーツもしなくなり、外出もクルマに頼っています。家も会社も暖かく、寒さを実感するのは戸口からクルマまでの一瞬です。でも北陸の冬を思えば別天地です。こたつは背中が寒く行動的ではなく、駅のホームは北海道より気温は高いのに寒気がします。空気の湿度が高く肌と衣類の間にも湿気で繊維が起毛せず、空気層が無くなるからでしょう。プラスの1~2℃の北陸とマイナス13℃の千歳空港の温度差は15℃もあると言うのに不思議です。そんな厳寒の北海道でも何故か明るい冬のイメージがあります。観光資源としてさらにイメージアップしていければ、冬の北海道に訪れる人も増える事でしょう。僕のように住みついいてしまう人も居るかも知れませんね。

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