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「中古につながる生活者の目」

私のブログ名を自ら変えて「中古に」に替えてみた。近所に移転したリサイクルショップ・セカンドストリートへ顔を出して商品群を見てくるのが楽しい。それにしても住民はオーディオ・椅子も運んでくる。レジ横には大量の洗濯を終えた衣料品がベイビー用とかレディース用と分類されて箱で積んである。良く見ると「値付け終了」と書いてあるから、あとは並べるだけの作業にしているが、「モノ余り」「生活防衛」「部屋の空間維持」「生活費の足し」に走る庶民の姿が見える。中古のベンツに乗って、荷物を出して買取受付へ走っていった。似合わない。

私も先日孫用のベビーチェアを持参したら、2400円で買ってくれて、4900円で売っていた。1週間後、見に行くと売れていた。売れると嬉しいもので、買ったのはどこの誰かは知らないが、感謝する。私の車も10年を過ぎたので税金の安い軽自動車にでも乗り換えようと中古車を探したが、値段の高いこと!普通車の方が安いものがある。困ったので、ことしはもう一度ディーラー車検をしてもらった。

世の中は、生産物に溢れていて、食品を除けば、リサイクルで十分使える。食品も賞味期限(美味しく食べられる期限で決して腐敗が始まることではない)がきても食べれる。きょうは近所の専門学校の玄関に、ビジネスチェアが置いてあり、「どうぞご自由にお持ちください」と書かれていた。小学生が座ってグルグル遊んでいた。町内に1カ月に1回、大型ゴミの日がある。筆者の住む団地は100円のシールを貼ればベッドでも持っていく。朝の出勤をしていたときは、まだ使えるかもしれないスピーカーやタンスも置いてある。もったいない。札幌のブランドショップ経営者の話では、高級住宅街で衣料品を捨てる日に、謎の軽トラが市のトラックが来る前に、袋を持っていく業者がいるので気味悪く、必ずハサミを入れて出す話を聞いた。

私の購入した戸建ても考えてみると築4年の中古住宅で、雨漏りがひどいので3年前にリフォームしたら、雨漏り箇所がかえってふえた。そのたびに施工業者を呼んで、最後は赤外線で屋根裏を検査。柱に沿って湿気が走っていたことが判明。中古住宅であるがゆえの雨漏り事件に3年間苦しんだ。それでも筆者は「幼年時代、屋根から雨漏りしたら、バケツやタライを置いて集めていた」と思えば楽なものだ。極端なことをいえば、屋根のある家に住んで、少しのお金と食べ物があるだけで贅沢ともいえる。穴の開いた毛糸の靴下やセーターも母は毛糸針で塞いでいた。消費して要らなくなったり、新製品を購入したら、古い物は邪魔で捨てる。現代は、それが人間にまで適用されてるようだ。残酷な世紀になっている。

貧乏時代を知っている世代は、生存力は強いかもしれない。「新品じゃなきゃダメ」「他人の使ったものはダメなの」と言って生きてる人も少なからずまだいる。いつまでそういう生き方を貫き通せるか。妻は私のリサイクル好み・中古好み・理由あり商品好み・7時過ぎの値引き商品好きを見ていて「私もそうやって、選ばれたのね?!」。返す言葉がない。小さな頃から私は、道路に落ちているものを拾う癖がある。名刺も道端に多く落ちている。拾って少し読んでゴミ箱に捨てる。背がクラスで一番小さかったから、下を向いて生きてきたのかもしれない。それが拾う癖を呼んでいる。「汚いから止めな」とたくさんの人に注意されるが、その人の捨てるものに人生の価値観が見えるときがある。

 

  1. 農場は無くても、だんだんムヒカ氏みたいになってきましたね。「無比化」他と比べない自分の生き方は、むしろ現代の若者たちにも当てはまるのではないでしょうか。僕の娘は、雑誌でもCDでも衣類でも装飾品でも、買ってもすぐリサイクルショップに持っていきます。一方、息子の家族はリサイクルショップの常連です。僕たちはモノが無い時代に育ったので、そのような店も無く、兄弟姉妹や隣近所でお下がりを譲り受けたりしたものです。消費社会化が米国から伝染してからは日本もすっかり消費大国になってしまい大量消費=経済発展と思われてきました。大量にモノを生産すれば労働力が生まれ、給与で消費し「幸せ感」を味わう。ムヒカ氏ではないが「さらにモノを求め」そして「捨てる」結果、リサイクルも成り立つのだろう。最近稀ではあるが「ゴミ屋敷」を見ると、他人が捨てるモノを拾ってきて山のように積みあげて暮らしているが、或る時、ゴミ屋敷の敷地内にも、立派なログハウス的な住宅が建っていた。周囲はゴミ?で埋もれていたが、廃材利用で建てたのだろうか。僕も興味があるのは、今や廃屋に近い玉ねぎ倉庫などの石造りの建物リサイクルが出来ないかと。あんな建物の街並みがあれば、サイジングとトタン葺きのやたらカラフル過ぎる北海道の景色も、ヨーロッパ風にシックに変わるのではないだろうか。

  2. 僕も借家の次に、中古住宅を購入したが、ボイラー入れ替え、屋根の修理・塗り替え、外壁塗り替え、壁クロス全面張替え、カーポートの新規工事と、次から次へと修繕費が掛かった。余りにも無駄なので、バブル期に売却して(買い取った方は、新しく生まれ変わった住宅に喜んでもらえたかも知れないが)分譲住宅を購入した。その住宅もモデルハウスとして建てたもので、半分中古(新古)だった。20数年経つが、もうすでに3回程屋根や外壁塗り直し、窓取り付け、給湯と暖房別々のボイラーに至っては3回程入れ替え。そのたびに費用がかさむ。今年も既に、水回りの修繕で5~60万が吹っ飛んだ。今度は床のフローリングの修繕が待ち受けている。住宅ローンは終わったものの修繕費は年々増え続ける。結論は、初心に帰り、家は「借家」の方が正解でした。

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