数字に疲労してる社員・管理職・・。アバウトな緩い目標へ舵を切る。
いい加減が好きな筆者でも37年間、営業の世界に身を置いていたから、多少は数字の厳しさは知っているつもり。しかし、銀行のBIS規制とか会計の方式がアメリカ型に変わったりしたが、結果として出てきたのが、本家本元の会計事務所の不正経理ばかり。世界中から失笑を買っていたり、株主はじめ世界中に大迷惑をかけてきた。
日本の金融機関も1998年からBIS規制で、自己資本比率を8%まで上げないと国際業務ができなくなるので、中小企業への貸し出しを引き揚げたり、たくさんの優良な会社をつぶしてきた。期限を入れた目標数値に「絶対」をつけると碌な結果にならない。血が流れる場合もある。果ては企業を潰す結果になる。利益を上げるための目標が付き合いのある会社を潰したり、自分自身の会社を潰す時代に入っている。
生命保険の大会でも「必達」と大書きされた文字が躍る。「完遂」も。デパート商戦もエイエイオーもうるさい。どこを向いても「目標」「目標」「目標」。生命保険の世界でも、目標に2本足りないと自腹を切って1回目の保険料を払う人もいた。デパートに働いていたフロアマネージャの同級生も「百貨店協会の発表する数字は信用してはいけないよ。インチキだから。俺も今月、宝石を買ってくれた客がいるが、今月は数字はまあまあだからこの売り上げは来月に持っていく」。これが別なブランドショップの店長は筆者に「奥さんにこのイタリア製のセーターいいわよ。今月、数字がないので買って、お願い。目標額いかないのよ。」10万円はする手織りのセーターだ。「みんな売上がないと自分で買って給料から引かれるの」。貧乏サラリーマンは買えない。ミッソーニだ。普段の付き合いで、お歳暮やお中元でビールや肉ハムならいいけど。目標にいかないと数字を持つ個人は友人・知人に電話かけまくりする。現場の庶民は身を削って生きている。
トヨタ系の車のディーラーに22歳で就職、28歳で道庁へ転職した家庭教師時代の教え子も「毎月、毎月、朝の朝礼で新車販売台数を必ず売るよう店長から言われて、もう親や同級生、親戚に売ったし。頑張らないと」と言っていたが、公務員受験年齢ギリギリで公務員になったとたん「楽で楽で天国。出世もしたくないから、初めは稼がないでこんな仕事で給料をもらえるのかと思ったが、ディーラーのときよりよりいいんですよ。目標数字がないのが楽です」。楽になった分、その時間で有意義な楽しい人生をおくれればいいが。
同じ時代、同じ社会に生きていても、長い間の仕事で培われる、価値観、態度や言葉使いまで変わってくる。数字の世界は、相手先とサービスや物の売買について売り上げが立つこと。決算、予算、決算、予算、対前年比、売上、利益、経費、見込予想。取引先倒産につき引当金。各課が作り、部でまとめ企業の数字にして役員会・株主総会での承認まで持っていく。しかも対前年批マイナスを相当な事情が無い限り認めない企業が多いから、嘘の資料つくりをする。「絶対に数字を作れ」と命令する。「はい、わかりました」。作れないのは現場が一番知っている。
東芝の粉飾決算、三菱自動車の日産から要望された低燃費技術(数値)をテストプロドライバーがたたき出した燃費で走ったのも「絶対目標」という圧力と決裁権者のモラルハザード。出来ないことはできないと言う勇気がなかった。この企業風土はほとんどの民間企業に実は内在している。役所はこのときとばかり何かの組織を作って国がもっと厳しい検査をと意見する役人が必ず出る。うまくいけば、自分たちの仕事と天下り先を増やすだろう。民間の不祥事は官僚にとって蜜の世界、出張費でも稼げる、利権も広げられる、しかも国民のためにという隠れ蓑を使える。マスコミを利用できる。シメシメである。税務署もそうだし、公正取引委員会もね。
だから、提案したいのは、民間は目標は緩やかにアバウトな数字にしていくことで、かえっていい仕事になるという話だ。大きなケガを負う前に、擦り傷で終わるよう、無理しないで生きたいもの。経営危機になれば、一番困るのは社員とその家族、納入中小企業だ。株主はどうせ、暮らしに困らない連中ばかりだから無視していい。私の車も最初リッター23キロが今では12キロ。向かいの人の車も新車で20キロが今では10キロ。ハイブリッドプリウスも詳しく調べれば購買時の低燃費は崩れているはず。メーカーがどこであろうと運転手は皆知っている。問題は数字ごまかしの企業風土をどうするか、三菱に限らない。ごまかすのは企業だけでなくて国家や学校、言葉を覚えた人間は必ず嘘をついて、逃げるものだ。アバウトな数字にするのは、実は逃げ場を作ってあげることなのだ。三菱自動車のニュースを報道する新聞も足元の押し紙を含めて部数改竄、テレビも電通の子会社ビデオリサーチの視聴率(東京でたった600~800軒調べですよ)に一喜一憂、全部筆者にはインチキにしか見えない。伝える側も伝えらえる側も同じ穴のムジナにしか見えないのだ。
昔、昔の少年
相手が居るからビジネスは出来るのだろうが、売る側も、買う側も、正直になりたいものだ。例えば、「我が社の商品の売価は〇〇円、内手数料と税金は〇円」と。しかし企業間の競争や同業他社との競い合いが始まると「〇〇社には負けたくない」とばかりに、実績を上積みしたり、ムリな売り上げを計上したり、架空の数字で改ざんしたりと、社内・外への騙し合いが始まる。決算報告も対外的に微々たる黒字と聞いて安心?して日常業務をしていると、突然!おかしな役員たちの動きをマスコミにキャッチされ、一夜にして社員が露頭に迷う事も経験して来た。粉飾決算だ。経理部長も、直近の役員も知っているのに、発覚するまで口をつぐむ。業務上の守秘義務とは言え、身内にまで下手な狂言芝居を見せる情けない役員たちもそうだが、その上を行くのは組合の幹部連中で、ボンクラ頭のノー天気で、会社の危機も知らずに雁首そろえてベースアップの?会合などしていたなど、会社も組合も、大・小問わず信用して居られない。また、モノづくりも過剰生産を自慢気に「世界一」を目指す。しわ寄せが社会環境・自然環境をも乱しはじめているが、対処法も考えずに突っ走っている。自分たちの世代さえ生きれば良いのだろうか?。生きているのは人間だけではないハズ。ちっぽけな地球上の人間劇場は悲劇だ。