善意で説教をする人たち
たとえば禁煙主義のイデオロギーに染まってる人が、喫煙OKの喫茶店に入ったとする。嫌ならすぐに別な喫茶店へ移れば済む話が、会う相手が気に入ったお店であるがゆえに最後までそこでコーヒーを飲んでお喋り。支払いを済ませるときに『いまどき、喫煙OKで健康を害するタバコを飲ませるお店はおかしいと思うんだけど』とマスターに発言したとしよう。
居酒屋であれば喫煙OKも多く、ランチタイムも喫煙できるがゆえに食事に来るOLが北海道の場合多い。禁煙は必ずしも常識ではないし、49歳まで30年間一日最低40本を飲んでいた愛煙家の筆者は喫煙者に同情的だ。話を戻すと、禁煙は常識だとの発言は喫煙OKの方針を取る経営者から見ると『ムッ』とする発言だ。
店主はあるとき私に『いまやホテルの従業員も喫煙者は肩身が狭く、休める場所がない。だから最近、ホテルの人たちが昼休みに私の店に来る人が多いんだ』と。タバコの煙が嫌な人のための空間は呆れるほど市内に広がってるから、禁煙家天国の国になってるみたいな様相だ。タバコを吸う人は禁煙家より税金をたくさん支払って、旧国鉄の清算事業団の借金の穴埋めに充てられている(はず)。葉タバコ農家の生活をも支えるべくお金を使ってもいるのだ。
さらにタバコの効能は、人をリラックスさせてセラトニンを分泌させているかもしれず、リラックスな人の横にいると他人をもゆったりさせる雰囲気を醸し出すかもしれない。伏流煙がとやかく言われるけれども、最悪は車の排気ガスで、禁煙主義者が車内を禁煙にしつつも『自分の車が世間に吐き出す排気ガスにどれだけ神経質になっているか』疑問である。ハイブリッド車もガソリン併用ゆえ排気ガスは少なくても同じである。ガンになるのは、タバコ云々からではなくて排気ガスからの刺激または長寿であるがゆえに肺がんが増えているのではないかと思う。あるガンの学者が『私の娘にプロポーズをした医師がいて私は、あなたが禁煙をするのならOKしよう。喫煙して短命になる男に大事なわが娘を嫁に出すわけにはいかない』と発言。男の医師は禁煙を誓い、晴れてゴールインした。
世間を席巻するタバコ有害論や健康志向サイコーの生き方をここまで書いてきたが、彼らから見たら不健康な人たちは実は驚くほど多いのだという、現実があるのをどう見るのだろうか?ドイツのナチズムは超健康志向の政策を次々出していき、(彼らの価値観から見て)不健康な人たちを抹殺してきた。私はいい加減な、不健康な人間を、アバウトな人間を、不完全主義者を、何を考えてるかわからない人間を大事にしていきたい。『善意で他人に説教しない』人々が多くなってくると、世の中は過ごしやすくなる。公共空間(電車・街中)での街頭説教も止めて欲しい。市民を幼児レベルで見下されてるようで不愉快に思う筆者である。書いていて、気づいてきたことがある。「健康志向」に熱中する生き方は「かっこ悪い」、これが私の本音なのかなと思う。きょうも決められた時間に自宅前の歩道を黙々と歩く夫婦。こういう姿は他人に見せるものではない、誰も見ていないところで静かにするものだという私の美観がある。ここには「説教はない」。だからテレビの健康万歳CMはサイテーである。
SLと言われた男。
17年前までは日に50~60本のヘビー・スモーカーでしたが、体調不良をきっかけにやめました。煙草をやめると、しばらくは禁断症状らしき期間がありましたが、気にならなくなってからは食べ過ぎるせいか10kgも太ってしまいました。煙草が抑止していた食欲が解かれたのでしょうか。喫煙時代はお腹が空いてもタバコ、考え事すると言ってタバコ、眠気覚ましにタバコ、と何かと煙草に依存していました。これまでも、これからも特に健康に気を使っているわけではないですが、兄が両切りの缶入りピースの常習者で肺がんでなくなりました。最近は両切りを吸う人は稀ですが、本当のタバコ好きはフィルターは嫌のようです。確かに缶を開けた瞬間のあの香りはたまりません。タバコ呑みにお説教をすれば、決まって帰ってくる言葉は「死んでも構わないから」です。お酒呑みのセリフにも似ています。最近では、相手やその場の環境で吸えなくなりましたね。東京でも歩きタバコは罰金です。札幌の中心部もそうでしたね。家では換気扇やベランダでと、タバコ呑みには住みにくくなりましたね。
患者になった医者。
喫煙喫茶?あるんですね。病院の診察室で医者から聞かれました「タバコは?お酒は?」と。しかし医者がタバコ臭くて明らかに喫煙者で、しかも太っていて不健康そうでした。よく見る光景ですが、或る大病院の駐車場にクルマを止めると、外に白衣の職員が数人でタバコを吸っていました。また、先日、お盆休暇にゴルフをご一緒するはずの若いお医者さんは、急に入院して行けなくなり、仕方なくコースのキャンセルをしました。なんでも院内で菌を貰ったらしく検査入院だそうです。医者と言う職業は健康な者ばかりでおカネになる仕事と思っていましたが、お金ではなく菌も貰うリスクの多い職業だと知りました。患者には、ありがたいお説教をするお医者さんにも不健康な人がたくさんいるんですね。
公害生造機。
四つも胃がある牛たちの「ゲップ」は公害のようです。牛に限らず人間の「ゲップ」も「オナラ」も「クシャミ」もきっと公害なんでしょう。人間も生きているだけで、生ごみを生産していたり、公害生造機と言うことです。公害の元凶と言われるクルマも最近は水素エンジンとか電気モーター駆動とか燃料電池とか公害対策が考えられています。海に囲まれた日本や北海道には海水が豊富ですから、各地に水素生産プラントなど実現すれば公害も減ることでしょう。ただ、その機械などの製造過程では燃料エネルギーを使う事で公害が発生します。今後は公害の出ないエネルギーでの生産を考えなければならないでしょう。個人としては、せいぜい、生ごみ亭主と言われないない様にピンピンしていなければ・・・・。
徘徊夫婦。
人はそれぞれ違うので、一般常識と言えど同じとは限らない。自分の常識は他人の非常識だったり、他人の常識には理解に苦しんだり、とかく他人と比べる事が好きな人には気になって仕方がないと思う。自分は自分と、他人を観察し過ぎず、余り気にし過ぎなければいい訳だが、気にする人は我慢ならないのだろう。確かに自分に害が及ぶほどなら、それも仕方が無いが、まったく無害なら無視するほうが心の健康には良いと思う。人の欠点や不幸は恰好な話題のネタになり誇張増幅されたりして拡散する。老夫婦がウォーキングなどしていると、つい「また徘徊しているわ」と悪口をたれる自分も、冷静に考えて見れば、どこかで他人を羨む裏返しが産む現象かも知れない。現に自分はと言えば、決して夫婦仲睦まじく無いから、自分の常識ではとうてい理解できない行為だからだ。
常識の無い場所。
一流デパートの社食(職員用食堂)に行くと、ブランドショップの売り子の綺麗な女性が窓際のカウンター席で、ミニ・スカートで大胆に脚を組んで「プカ~!プカ~!」と、くわえタバコでスマホをいじっていた。周りを見ると、ほかにも売り子の若い女性数人が「プカ・プカ」やっている。立ちっぱなしで接客している彼女たちの営業の顔や店頭での言葉遣いとは全く違う緊張の無い表情からもここは彼女たちの天国のようだと読み取れる。そんな場をテナントショップ社員に提供している家主のデパート側も、ここだけはお得意の常識マニアルを押し付けず黙認しているようだ。