他人に迷惑をかけないで生きている人はいない。朝起きて、トイレに入るのだって、その排泄物を下水管に流して、下水処理施設まで行き、消毒薬を入れられて、あるものは肥料にされ、残りは川へ流されるが、それに従事する人たちの手を借りている。家庭から出る大量の燃えるゴミ、燃えないゴミ、生ゴミも分別して、所定の場所に置いておくと、清掃員たちが足早にトラックとともにやってきて持っていってくれる。


電車に乗れば駅員がおり、運転手がいて目的地まで運んでくれる。朝刊も毎日投函する人がいて、家の中で受け取れる。それ以上に、生きるために必要な食べ物だ。私の住む町は周りが農家に囲まれている、畑に囲まれているから具体的に作物が見える。去年は、豪雨と強風でビニールハウスで栽培されたレタスは全滅した。知り合いの農家だけでなく、近郊の全農家が全滅である。「ジャガイモは順調なので何とかできます」と農家のご主人は言っていたが、収穫までにかかる時間と手間と苗の購入にかかる費用は、無駄になった。ビニールハウスが倒れたらさらに被害額が増える。そういう農家から運ばれてくる野菜や米を私たちは食べている。農民の手と水と太陽と土壌の肥料の合作が作物だ。


人間の一人一人の体は、両親のDNA、さらに先祖のDNAから生まれてきた。都会を歩く膨大な人々を見て、この人たちが全員、お母さんの産道を通ってオギャと泣きながら生まれて、ミルクを飲み、言葉を覚えて、教育を受けて、そして働いていることを思うと、一人前になるまでにかかる膨大な時間と他人の介入とお金、さらに無償の愛情が注がれてきたのだと思うと人間が不思議な生き物にも思えてくる。生まれてすぐに立ち上がる馬たちや牛たち、サバンナで生まれる動物たちも母親に汚れたところは舐められるが、ひとりで歩こうとする。

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