日本における原子力開発の生みの親は、正力松太郎と中曽根康弘である。1954年、突如、原子力予算案が提出されて、抗議した学者へ「学者たちが居眠りをしているから、札束で頬を叩いて目を覚まさせるのだ」。私は昔、反原発の立場から書かれた武谷三男「原子力発電」(岩波新書)でこの文章を読んだが、今回、佐高信「原発文化人50人斬り」(毎日新聞社)から引用させてもらった。


それにしても、乱暴な中曽根である。同じ年に、日本学術者会議は声明を発表、核の扱いについて三原則を決めた。「公開」「民主」「自主」である。それでも武谷三男は「核廃棄物の処理技術が未完成であるのに、原発から出る核廃棄物処理技術や場所がいい加減であれば将来、子々孫々に大変な負債を残すことになる」と何度も警告を発していた。現在でも有識者会議に政府答申をさせる仕組みが続いている。


霞ヶ関官僚が学者やいわゆる有名文化人(?)の思想傾向をあらかあじめ分析して、最終的に官僚が落としどころになる結論へ導かれるよう委員を任命する。もちろん高い謝礼を振り込みながら。全部が政府寄りの意見になると国民の大きな反発を呼ぶから、適当に反対者も半分以下委員になってもらいバランスを取るようにする。若い論客も入れると注目度は高くなる。


しかし、年金問題も、当初、いま生まれている膨大の子供たち世代(後に堺屋太一が団塊と命名)が次世代の年金を負担する制度は人口の増減で必ず破綻すると警告していた少数の経済学者は脇に追いやられた。旧社会保険庁は団塊の世代から集まった莫大な年金を使いきれず、リゾート法を悪用して、日本全国に保養地を作り天下り先を増やし、何回も退職金をもらえる仕組みを作った。今でも彼らは民間にタダ同然に売り払った全国の温泉地に集まり、飲み会を開催して、あの良き時代を回顧するイベントをこっそり続けている。ここでも少数派が正しかった。


そしていまや団塊の世代は若い世代からみて「年金泥棒」と思われている。実際は、支払った年金額と受け取った年金額は、前の世代(70代や80代)よりグーンと少ない。さらに老いた親や自宅を出ない子供たちを抱えて苦しんでいる。制度は一度回転し始めると、止めるには何十倍の困難と努力が要る。消費税導入や人材派遣法もそうだ。そして既得権益者は猛烈な反対運動を起こす。しかし、税金の収入については財務省、人材派遣は大企業の利益を重んじる通商産業省。


新しいことを始める、法律を作るときに入る評論家や大学の先生方の認識にアパート暮らしや莫大なローンを抱えたサラリーマンや共稼ぎで日々子育てにあえいでいる人々の顔を思い浮かべながら、議論をしているのかどうか?国のあれこれを決める基本さえぶれなければもっとマシな国になっているのにと思う筆者である。国は何のためにある?もちろん権力を守る軍隊や警察の維持と官僚を養うためである。


ヨーロッパで発明された近代国家は、資本主義や共産主義の如何を問わず、それに尽きるように思う。EUでさえ、官僚を2万人養っている。これに各国の役人が加わり養っているのである。税金は所詮、他人の金なので「痛みを感じながらお金を使うわけではない」。各種補助金や建設事業費と一緒に自分もおこぼれにあずかろうと、お金のベルトに乗って、支払先に就職する輩もいる。能弁な税金乞食の群れが近代国家の実態である。それに反発する中小企業はいかに税金を少なくしか収めないか工夫している。確定申告真っ最中である。筆者は税金逃れをするためケイマン諸島に口座を設ける金もない。

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