時代をさかさまに見ているようだけど、植物を見ていると、土の下では細かい根をお互い伸ばして水分と養分の取り合いをしているかもしれないが、戦いといえばその程度で、太陽の日を浴びてすくすく育っている。しかし,葉を太陽に向ける角度を巡って、また大きな葉に日を奪われないよう工夫する小さな花もある。小学生に抜かれて死を招く植物もあるかもしれないが、いたって平穏である。

 

平穏でないのは人間世界である。とにかく動くのが大好きだ。休みの日には、車を動かし高速道路を走り、バスに乗る。健康のため、テレビ局や広告屋さん、運動用具メーカー・清涼飲料メーカーの販促のために市民が動員されるマラソン。空飛ぶ乗り物で移動もする。夏だ海だ達郎だ・・で泳ぎに行く人も多い。評判のお店を回ったり『道の駅』のスタンプラリーをする夫婦やカップル、おひとり様も多い。とにかく何かしら動かないと生きられないかのような強迫的な毎日を送っている。事故に遭わないのが不思議なくらいだ。

 

交通事故、水の犠牲、心臓麻痺、ケンカや街中での刃物振り回しに遭遇したり、動かなければ事故には遭遇しない。事故に遭ってもいいから動きたい人は『どうぞ』と言うしかないが、事故に遭わないように動いている人が大半だとしても、他者(物)との遭遇から事故はやってくる。自分の意思ではないのである。ということは、実は『引きこもり』が一番、安全な生命を維持し続ける生き方になる。こういう観点から、『引きこもり』について書いている本は私の知る限りなかった。

 

『発明されたものや仕組みをすぐに使いたがるのが人間だ』とは文明史の教えるところで、武器もそうである。棒や骨・石や鉄を、他者を獲物を捕獲・殺害する道具に使う。旧石器時代は木の実や動物を捕獲できれば、しばらく家族でじっと昼寝ができる。どういう会話を彼らがしていたか知らないが、動きに無駄がないだろうと思う。そういう意味でライオンや猫や犬と同じで無駄なことはしない。

 

火山の噴火や洪水・地震・戦争の従軍で食べ物が枯渇すれば、先日見たNHK『インパール作戦』ではないが人肉を食べる。武田泰淳『ひかりごけ』にも大岡昇平『野火』にも出てくるシーンだ。人肉を食べるのはカニバリズムといい、『カーニバル』の語源である。イギリス側の当時の映像にむごたらしい日本兵の死骸の群れ。補給なく食糧なく、きれいな水もなく薬もなく国家に殺されたあの日本兵の映像はアメリカ側からの日本兵の遺体の映像とともに、見るのは辛いが現実の映像だ。

 

つくづく、我々の人生は、たくさんの死者の上に築かれていると思った瞬間である。

 

  1. 事故との遭遇。

    動かなければ無駄も無いし、事故のも遭わないかも知れないですが、僕は毎日毎日、遠い距離をクルマで往復移動しています。小さな器物損傷事故などはありましたが、これまで大事故に遭遇したことはありません。不思議なくらいです。意外にも本能的に事故を避けているのか?それとも動くことで事故を回避しているのか?

    • 食べ物探しに狩猟や木の実を探していたわけで、もともと動くのが仕事かもしれない生物であうね、私たち。筆者は落ち着きが
      ない多動性障害と妻に言われますが、一理ありますね。お金の本質も『運動』ですから、自宅の床下や金庫に死蔵しても、いずれ
      動き出しますね。税金で取られるか遺産相続で子どもや親戚へ動き出します。それならいっそう旅でもするかということで、老人
      たちが動いている感があります。

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