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『日本でいちばん幸せな社員をつくる!』柴田秋雄(SBCreative)の中に出てくる1行をお借りした。

旧国鉄の労働組合にいて、専従していたが、ある日、名古屋のJR系列のホテルの再生を引き受ける柴田さんの記録。赤字だったホテルを黒字化できたヒント集で、基本は社員を褒める、社員の家族や取引会社を大事に大事にする。社員食堂も経費を削減せず、料理を作るシェフにプラスチックのまな板からヒノキのまな板へ変えて、美味しいご飯を出し、安くていつも行きたい食堂にして、社員が集まりたい場所にすることで会話を増やし、あれこれ工夫を自力で促す。社員を家族と考えて、大事にすることで、結果的に、社員もお客さんを大事にする。

社員の犠牲でお客さんをハッピーにするのではなくて、自らがハッピーであることが相手に伝わるようなホテルづくりをした結果、黒字続きのホテルに変貌した物語。しかも12月30日は、ホテルを休業日にして、社員や家族・取引先を呼んで大パーティーを開く。料理人もこの日のために腕を振るい、一流料理を全員で食べる夢のようなセレモニーだ。筆者の父が旧国鉄で、謝恩会を市民会館で開いていた。

当日は歌手や落語家・奇術・漫才師・軽業師たちがやってきて、国鉄職員の家族は大満足、滅多に見れない芸能の生の世界を見るのだから。帰りはお菓子をもらって帰る。外から見たら、国鉄一家に見える。市民会館からぞろぞろ出てくるわけだから。そんな光景を思い出した。この費用も税金を投入して行われたといまなら思う。お風呂も国鉄職員だけ無料で入れる浴場もあり、駅の横には物資部というスーパーのハシリがあり、どこよりも商品が安く買えた。家族としての国鉄、それを思い出したが、柴田さん自身の年齢を見ると、この体験をしているはずで、この生き方をホテルで応用しているなと思った。

旧国鉄であれほど家族思いな組織なのに、なぜ赤字がとんでもなく膨らんでいったのか。企業サイズがまるで違うと言えばそれまでだけど。政治路線延長の奮発や航空機・フェリー・車が国鉄の屋台骨を傾かせたのか?あのころ親方日の丸という言葉も流行った。国鉄民営化の動きが出てくる前は、動労と国労の組合争議も続いていた。結局、民営化とともに国労が潰されて車両の運転業務をする動労が残って、民営化後、当局との闘争で死者も出るし、JR北海道は社長の自殺事件も起きた。だから、筆者はこの本は、少し美しく書かれ過ぎではと思う。ここにむしろ書かれていない、省かれた事件の方が大きいのではと思う。なんだか新興宗教団体のように読めるのだ。

 

  1. 名古屋に出張した時にステーションホテルに宿泊しました。安くてきれいでしたし駅に直結も安心でした。それより何よりも、ここにに宿泊する決め手になったのは、何と我が故郷の名物蕎麦店が入っていたのです。我が故郷は北陸本線の敦賀の手前の駅のある山間部で、スイッチバックの三重連SLの補給基地駅でしたから、駅の有る町はもとより、周辺の村の大半の男性は国鉄職員でした。停車時間が長いので、駅売りも盛んで、ホームには名物の立喰い蕎麦もありました。そんな名物蕎麦も北陸トンネル開通後はすっかり影を潜めてしまいましたが、僅かながら関西地方に出店していたのです。大阪は御堂筋当たりの地下街で見つけた時も飛び込んだものです。都会の中で我が故郷を見つけた思いでした。都会には地方出身者も多いのとそんな田舎の珍しい名物蕎麦通も居て商売になるのでしょうね。

    • そばそのものが美味しかったからだと思います。札幌駅地下に幌加内ソバ店があり、ずっと繁盛しています。スイッチバックスする駅は日本中そんなにないと思いますが、貴重な駅ですね。周りは国鉄マンばかりとは、私が住んでいた札幌東区にそっくりです。苗穂小学校、東栄中学の6割以上は国鉄マンの子弟でした。私もその一人です。関西電力と福井の町村+電通の原発安全広告で、福井県が関西圏の電力供給で汚染されてしまって、金まみれ関電役員多発の構造ですが、静かな安全なエリアになって欲しいですね。

  2. 労組は良いとしても組織が大きくなると、労組も二極分化して労組同士で争うなんて事になるんですね。私は労働組合争議で潰れた会社の北海道支店が独立した広告会社に入社。労組が無かったのですが、暫くして元の会社の残党の中間管理職の人が労組を立ち上げました。それとは無関係だった私は派閥も嫌で外れていたので2年で辞めました。そして本州企業の北海道支社に入社。その当時の北海道支店長は何と元国鉄労組出身者でした。しかも彼は私の前職の会社の労組幹部が銀座の旧ビルに籠城し続けていた7名とは労組繋がりで応援もしていて面識が有ったのです。そしてしばらくして彼から『裁判に勝ったぞ!未払い給与も支払われるらしい』と。彼は会社の労組の委員長経験者でしたが会社から支店長に昇格させられ北海道に転任してきたわけです。国鉄労組の筋金入りですから会社も、ウルサイ者には蓋をとばかりに役職を与えて黙らせる作戦だったのでしょうね。それでも国労時代からの癖で管理職なのに本社幹部には誰だろうが構わずしょっちゅう嚙みついていました。しかしその人の強力な後押しのお陰で私も入社出来たようなものです。その方の息が掛かった労組も力が有ったものの、彼が居なくなった後は徐々に衰退気味になり、会社の倒産劇さえ事前感知できない情けない労組に成り下がりました。そのX-DAYの日に右往左往する私達社員をしり目に、労組幹部は何と?組合費を使って銀座で宴会をしていたと言うのですから呆れかえりました。会社も労組も組織が大きくなれば腐りますね。そんな私も、その時には組合員から外され昇格させられ支店責任者にさせられていました。

    • 労組が二ッ三つに分かれるのは、政治の世界でも同じで、方針の違いより、人間関係で分裂する場合が多いですね。組合の幹部は政治家志向多いです。そして自分の懐や親族を暖まます。札幌に本部がある医療系の学校が文科省から突然、大学の許可が下りて日本医療大学になったのも、元社会党の代議士が民主党政権のときに文部に圧力をかけてすたーとしたと言われています。安倍政権下の加計・森友と同じ構造ですね。恵庭市の工業団地にある企業の専従組合員が団地の町内会長から市会議員に立候補して当選。演説だけは上手で、会報にも新聞社会面記事風のお上手を書いています。北海道が社会党の横道知事時代、道庁幹部が「こんなにお金が使えるんだ」とススキノや飲み食い費用を使ったことが思い出されます。「タダで税金でいい思いをすると忘れられない」習慣ですね。日本じゅうを覆ってる税金パクパク民族です。くそどうでもいい仕事をして定年までパクパクし続ける人たちです。大事な仕事は、非正規雇用の人たちが役所の窓口にいます。図書館も外部委託会社にボーナズゼロで働いています。

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