市井の黙々と真面目に働いてる人間が一番偉い(山下達郎)
ことしの1月1日に書いたのを再録します。今年に入って新規読者が増えているからです。
「市井の黙々と真面目に働いている人間が一番偉い。それが僕の信念です。」(山下達郎)
山下達郎の言葉だ。バンド仲間の紹介も丁寧だし、彼のステージを何度も見ているが、音量調整をするミキサーや照明、ステージを運び作る美術の人たち、運営をする興行会社の人たちへの気配りが素晴らしい。
それは立川談志が落語が終わった後、長い時間、頭を下げるシーンにも重なる。DVDしか見てないけれど。市井のそういう人たちが実は舞台も作ったり観客でもあって9000円近い木戸銭を払い、駆けつけてくるわけだ。達郎さんも頭を下げる時間は長いし、お客に手を合わせる癖がある。
去年のマニアック・ツアーでデビュー当時、佐世保の広い会場でお客しょぼしょぼの中、演奏した2曲を初めてステージで披露した。「この曲がトラウマというか演奏すると当時のことが思い浮かんでダメでしたが、きょうは頑張ってやります」と。記憶って成功の記憶より失敗の記憶が深く残る。博奕は逆に大儲けした記憶がいつまでも残るのはどうしたわけか?記憶野が違うのか?大脳の同じ部位なのか違う部位なのか?
朝日新聞2015年8月8日の記事でも、1974年5月11日(こういう日付は忘れられない)、京都のライブハウスで演奏の合間に曲紹介を始めると居眠りしていた客が「もう、やめエ、お前ら京都に来るな」とヤジられたが、最後まで演奏した。
落ち込んだ彼を聴きに来ていたギタリストが「この店で一番怖い外人客がノリノリやった。だから心配あらへん」と励まされた。「クリスマス・イヴ」にしたってJR東海がCMで使わないと、アルバムの中に埋もれた1曲にしか過ぎない。
いい曲であっても、世界中で埋もれている音楽は山のようにある。素晴らしい人格者でも市井に埋もれて黙々と生きている人々がたくさんいる。あなたの周りにもきっといるはずだ。立派な本を書いているから立派な人ではない、立派な肩書があるから立派な人格者ではない、ノーベル賞を取ったからといって立派とは限らない。芸能でもスポーツでも学問でも政治でもそうだ。
無名であっても(ほとんどそうだ)「市井で黙々と真面目に働いている人間が一番偉い。それが僕の信念です」(山下達郎)
私のブログの2回目(2015年3月19日)に下記のような文を書いたので記します。「知の考古学」(1975年3月創刊)の巻頭言だ。偶然、達郎さん京都公演の次の年創刊。現在、廃刊。
わたしたちは
同時代ドラマ終焉の幕間に
棲息しているが
この黙示録的同時代を凝視するとともに
現代史の一齣でありながら
太古につながる市井の生活者の眼を掘り起し
人間の思想の復権を願う者である
真に力ある思想とは
回心を促す思想であり
また
いつも思いも寄らぬ地平から
拓けてくるものであることを信じている