洞穴に住んでいたネアンデルター人が、狭い岩穴の中で、やはり数%はパニックが出ていただろうかと考える。そういう人たちは長生きできなかっただろうなと思う。いや、パニックはストレス性のものだから、その時代は現代みたいな人間関係もなく、あるとすれば食べ物が捕獲できない、飢えへの恐怖だろうとも考える。しかし、私たちのDNAの中に滅びたとされるネアンデルタール人のDNAが残っているとしたら・・・。

ネアンデルタール人といえば、最近の学説(スヴァンテ・ペーボという学者でミイラのDNAを調べたり、アイスマンのDNAを調べた)では、ネアンデルタール人と現生人類の祖と言われるクロマニヨン人が同時期に共存していて、交配(SEX)もしていて、日本人を含む「非アフリカ人」のDNAの数%の遺伝子にはネアンデルタール人のDNAがあるという話だ。

ネアンデルタール人は20万年前に出現(どうして出てきたのか、知りたいが)、2万数千年前に滅びたとされる。一方、現生人類(クロマニヨン人)は4万年前から1万年前に出現と言われている。年代からいっても相当の年数が共存の期間に入るから、出会えば(特に男女が)二つの種(?)のSEXから子供が生まれ、代々その子孫もいたということなる。

不思議なことに「アフリカ人」のDNAにはネアンデルタール人の数%の遺伝子がない。アフリカから北へ移動したクロマニヨン人は現在の中東でネアンデルタール人と出会い、交配が始まったと解釈され、そこから世界中に広がったという壮大な仮説だ。さらに2009年、ロシア西シベリヤのデニソワという場所で洞窟からミイラが発見され、「デニソワ人」と命名され、DNAを調べると現生人類に近い化石人類(ネアンデルタールのような)が発見されている。

彼らも実はクロマニヨン人と交配して、子孫を残したとしたら、その遺伝子も残っているはずだ。そのネアンデルター人のDNAが自分の中にあったり、いま生きている人類の(アフリカを除く・・いろいろ交わりがあるからアフリカも)遺伝子にあるネアンデルタール遺伝子がどんな作用や行動を我々に起こしているか、またはある条件下で発動するのか、考えているだけで頭がクラクラする。

以上の説に、真っ向から批判を加える人類学者も多くて、真偽のほどは未来へ託され、いずれ教科書も書き換えられるだろう。新しい学説に立ち会ってる気持ちに筆者はなっている。パニック障害減少の話からはるか遠い過去へ行き過ぎたかもしれない。ネアンデルタール人に糖尿病があったのだろうか?マンモスの肉を食べすぎてね。そうなら、どこでもドアで「薬(スーグラ)」を彼らに届けたい気もする。パニック障害の薬「ソラナックス」と併せて。(注 NHKが7月5日にスヴァンテ・ペーボさんにインタビューして番組を放映するので確かめたい。7月3日記)

  1. 太古の昔の人類史にはいくつもの仮説があるのでしょうね。しかし人間は今も昔も変わらない生き物ですね。毎日の食事の為に働き安定した暮らしを求めて移動する習性は、まるで現代人の都会生活思考そのものですね。大昔に都会は無くても開けて豊かな土地に移動し、より良い暮らしを求めて移住して行ったのでしょう。土地が変われば狩りの対象も代わり、それに伴って次第に食生活も代わって行ったのでしょう。男女間の事は人間も動物ですから、お互いに気に入れば一緒に交わったり同居したりと現代で言う同棲生活または結婚生活に。また好むと好まざるとは無関係の性の成すままの行為も仮説として大いにあったのでしょう。無秩序なコミュニティでは今で言う犯罪も多発したのでしょうね。犯罪だと定義される以前は当然の事のように行われていたとも考えられますが、それがつまり人類の進化過程では必要だったのかも知れません。混血によるお互いの理解や共通会話の必要性が新しい人類やそれらの言語を次々と誕生させたのでしょうね。今でも世界各国で人種や言語が違う様に、太古の昔にもネアンデルタールやクロマニヨンの他にも仮説として多数種の人類が存在していたのかも知れませんね。

    • 言語と貨幣と一神教がなければ。もっと素晴らしい人間になっかもしれないとつくづくおもうこの頃です。まったくの異端の思想ですが、小さな村で長老が子供たちにお話をする光景が私にとって理想のむらですね。軍隊も国境線もなく、働かず議会と称して年収を搾取する人たち、マイクを前に滑らかにしゃべる人たち、その文章を後ろで作成する役人たち、彼らを食べ察せるために必死に働く農民たち、どこかで人類史は狂ってしまったといつも思います。

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