不平等な生い立ちとその後。
差別的感情は(誤解されることを承知で言い切れば)人間存在の豊かさの宝庫なのである。こういう悪がすっかり心のうちから消え去った人間集団を考えてみよう。そこにおいては、哲学も文学も演劇も、すなわちあらゆる『文化』は消滅するであろう(中島義道 差別感情の哲学 )9p
差別がなくなれば、すべての文化や政治や経済や学校や職場や労働意欲も含めて企業活動がなくなるかもしれない。自分の胸に手を当てて、『建前の話』はおいて『差別は悪であり、止めなければいけない』という定言は横において、自分の心の中だけを観察してみよう。
たとえば、『私の祖先は京都の公家さんにつながる家柄で、田舎者のにわか京都人とは違う』とか『俺は江戸っ子で、戦後、どこの馬の骨か知らないが、東京にやってきて団地住まいの田舎者とはわけが違う。下町育ちなんだ』『俺の親父が外務省でロンドンにいて私もそこで生まれて贅沢な暮らしをさせてもらった。ピアノも幼少のころから家庭教師をつけてもらっていたよ。コカイン知らな いの?みんな吸ってるよ』
『俺は親父の仕事の関係でNY生まれだ。小学校でも英語を使っていたから、仕事で中国へ行くときも不自由しないよ』『俺は東大に入ることだけを目指して生きてきた。その東大入試が学生運動の安田講堂立て篭もりで中止。いやいや北大に来たが勉強する気がしない』留年を繰り返して最後は精神病院に入った。彼とは中学の同級生であった。『俺は医者の息子だが、子供のころに亡くなって苦労した。生命保険に入ってなくて母親が苦労した』
逆に『私の父は千歳の米軍兵士で母との間に私は生まれ、米軍撤退とともに母は私を祖母に預けて父を探しに米国へ渡った。両親のいない子供であった。ずっと生活保護を受けて育った』『俺の親父は北見で電気店を経営していて、仕入れに本州へいくとき洞爺丸台風に遭遇して亡くなった。いまは母親の土地に温泉が湧き出て露天風呂経営をしている』。以上の例はすべて筆者の身近にいる人たちの例だ。
自分が招いたことではない事件で、そこで生まれた子供たちは、生涯の命運が大きく左右される。人生は公平ではなくて、最初から、本人の知らないところに存在する差別感情の海の中で生きていかなければならないのである。現代も時代は違っても同じ。
生まれる民族や国籍・宗教や肌の色、突然の親の離婚や、住んでいる地域や親の職業、親からのDVに遭ったり、たまたま属した学級にヤクザみたいなボスがいたり、全部、本人は選べないことばかりで、その後の人生の大きなところを支配されてしまう。最近の犯罪は、すべて家庭の中で作られているのではないかと思う事件が多発だ。親にとって、一番の自然は子供だ。自然は意図的に左右などできない。火山は噴火するし、地面は揺れる、海も自宅を襲う、時には隕石が自宅屋根を貫いたり、飛行機が落下してくるかもしれない。これは夢ではなくて現実だ。子供が自然なら、親が子供に殺されることもある。原因が必然か偶然か、この際、どうでもいいことだ。不公平に生まれるのも自然、自然に復讐されるのも自然だから毎日覚悟して生きないといけない。
中島さんのほかのお勧めの本
戦争が変えたもの。
「人生いろいろ」ですね。差別は受けた方ですが、ちょっと変わっていて、我が家は東京から一家で、父の田舎に疎開したものですから、一時、「村八分」的な差別を受けたようです。長男の父が家を継がずに若気の至りか?田舎を飛び出して苦労して最終的には東京で成功した一人ですが、戦争ですっかり焼かれて田舎に戻れば、何とか食べていけたのですが、財産は全て弟の物にしたため、家は借家に代わり、田畑も借りて、自給自足がやっとの生活に一変。それを見て田舎の人達は「ざまア見ろ!」だったのでしょう。性格のいい夫婦だったのか、終いには田舎に溶け込んで地域の人達とも仲良くはなったようですが、子供ながらも、どこかに、いつまでも差別の名残は感じましたね。長年暮らした土地の「言葉」は変えられず、「仕事」も違うし、「風習」は全く違うところですから差別を受けるのも当たり前でしょうね。田舎の常識と都会の常識の大きな違いがある訳ですから。
虎の威。
昔、勤務先の上司が「俺のは武家の出だ。苗字で土とか田とか山とか川が付いていないだろう」と自慢気に言っていた事を思い出した。それを聞かされた僕の苗字には田も付いており、見下げられたものだと心の中で憤慨したものだ。武家の出ではないが、今更持ち出すほどの事ではない。どんなに貧しい生い立ちでも立派な大人たちは山ほどいる。考えてみれば、そんな祖先の事で自慢する事しかできない哀れな人とでもしておこう。