昔の子供の死。
何をおいても子供の死のニュースは辛い。
筆者は昭和32年まで札幌駅の繁華街とは反対の北口で6歳まで育ったが、自宅西側は北大のキャンバス。市電の走る道のすぐ横に北大所有の深いプールがあって、当時市内でプールのあるところは少なく、大人が深夜、金網を破って、泳いでいた。次の日、すぐにその穴を補修すればよいものをそのままに放置しておくと、子供がプールに入り込みで溺死した事件も多かった。プール周辺で幽霊が出るという噂も流れた。
さらに砂利道の道路に車は少なく交通事故は無かったが、冬に馬車に轢かれて死んだ子供もいる。馬車の後ろにスキーを穿いて手につかまりスイスイ滑るのだが、馬が急止したとき勢いで馬橇の下にもぐり金具に衝突死。札幌市内を流れる豊平川も夏休みは海水浴場に様変わり。急流な川で流されたり、いかだ遊びで小学生がよく死んだ。ある時期から、この川での水泳禁止令が出た。
父の妹も冬、ストーブに置いたお湯をかぶり火傷で死んだ。叔父も初めての子供を授かったが、小樽の産婦人科で『水頭症』と診断されて泣く泣く諦めたと聞いた。叔母は今でも夢の中に水に沈めたその子供の映像が出てくると言っていた。そのたびに『ごめんなさい』と謝っているという。またインフルエンザで高熱を出して亡くなったり、夏の海で溺死した子供も多いのは今と変わらない。ずっと子供の死を思い出すだけ書いていると、気づくのは病気や不可抗力の事故などで命を落としている子供たちだ。
しかし、近年、子供は家庭で殺される。事故ではなくて殺人、しかも殺すのは父親だったり母親だったり、どちらかの愛人だったりする。依頼されるケースもある。青信号で渡っていてもひき殺される事故も多い。さらに、学校内での人間関係のトラブルから自殺を選ぶ子供も増えた。家庭の中や教室、職員室、企業内、人の集まる集団でのイライラ感が増殖しているように思える。週に3回の通勤電車の中で、乗客の表情を毎日観察していて、特に朝の通勤で和やかな表情をしたOL・サラリーマンが少なく、笑い声は女子高校生の方面から聞こえるだけ。
田舎育ち。
幼少期の田舎での暮らしで子供が死んだケースは意外に少なかったように思う。ただし、夏になるとコレラやチフスなどの伝染病も奥の村で発症していたから、夏の楽しみ「川遊び」が禁止された事はあった。近くにプールなど無いから10m以上もある深い水の溜まり場に潜って、それぞれが手製の漁具で魚を捕るのが男の子の遊びだった。水中眼鏡のガラスに石でたたいてつぶした「ヨモギ」の汁を塗ると曇らなかった。溜まりと言っても渦や流れもあり、流されそうになれば川底の大きな石を抱えて沈み川底を歩いて漁をしたりした。水圧で耳に「ゴォー!」と水が入って来ても平気で河原に上がると手のひらにすくった水を耳に「継ぎ水」して出す知恵もみんなが知っていた。親たちは野良仕事や、山仕事、会社勤めや鉄道員で、誰も子供のお守りなどしているのを見た事もない。ただ、鮎釣りのメッカだったことで、無鑑札の密漁を監視する「川番」のおじさんが河原を巡回していただけだ。子供たちは絶えず「擦り傷」、「切り傷」、「転落」、「転倒」などケガは絶えなかったが医者に行くわけでもなく、傷に「ヨモギ」の葉をつぶした汁を塗りつけたり、山漆にかぶれたら「沢蟹」をつぶして塗りつけたり、「蜂」に刺されたら「オシッコ」をかけたり勝手に治療していた。子供の頃は「風邪」や「ハシカ」や「オタフク風邪」など以外には病気より、むしろケガの方が多かった。近くに医院も無かったので、つい自然治癒にしてしまったのだろう。クルマもバスやトラックなどの仕事車程度で乗用車はほとんど無かったので交通事故も無かった。田舎の子供たちより、むしろ都会の子供たちの方が危険な目に遭っていたのだろう。
ケガで覚えた事。
今、こうして生きている事が不思議なくらい、子供の頃は危険なことばかりしてきたが、運が良かったのかも知れない。下り坂の線路でトロッコに数人が乗って勢いよく走らせ車止めに激突する前に飛び降りる遊びは、最後の最後まで我慢して激突寸前の最後に飛び降りた奴が勝利者だった。バスや農協のトラックの荷台につかまって隣町まで無賃乗車も、オート三輪のエンジン始動をじっと観察して覚え、ある日、勝手に走らせて、木炭俵満載の農協のオート三輪をひっくり返したり、下り坂を自転車で駆け下り、路外の数メートル下の田んぼに空中ダイブしたり、猿よろしく柿木から転落したりと、きりがない。石合戦では額を割ったり、隣村のガキどもとの合戦で頬っぺたに弓矢が刺さったり、耳に木の実鉄砲の玉が入ってしまったり、濁流に掛かる丸木橋をゆすりながら渡ったり、野蛮な遊びばかりだったが、ケガはしたが、遊びでは誰も死んではいなかった。そして僕も。ケガで覚えた事と言えば「痛い」と言う感覚だろうか。自分も痛い経験上、他人も痛いわけで、その後は、他人を傷つけなくなったのかも知れないし、大人から叱られた事も、今では理解できるようになった。(ちょっと遅すぎたかも?)。
格差社会が生んだ歪。
母親が子供を見てあげればよいが、働かなくては暮らしていけない世の中。パートだ、派遣だと、通勤時には子供を託児所に預けて出勤する若い母親をよく見かける。一見、子供がいるとは思えないほど、普通の若い女性たちだ。夫の稼ぎだけでは暮らせないのか?それともシングルマザーなのか?事情はともあれ、今の世の中、働く若い世代を低賃金で使い、働かない管理職が高給取りと言う構図が、幼稚園や保育園、託児所不足にもつながっている気がする。毎日職場に通って一番奥の大きなデスクで新聞を数紙読んで、ぶらっと外出したかと思えばスポーツショップでゴルフのクラブを一本買ったり、喫茶店で時間つぶしをしたりして月に80万も貰っている市の本庁舎の一角にある外郭団体の理事なる人物もいた。まるで仕事らしきことはないようだ。「働くものに手厚く」、「楽しているものにはそれなりに」が当然ではないだろうか。他人に子供を預けて事故が起きている現実も、こうした社会構造が原因だと思いませんか?年を取ってから強欲にならず、みんなが幸せに暮らせる社会にするために個人欲を少しでも捨てる勇気が欲しい。
予防安全。
新興住宅地に引っ越して間もないころ、お隣の男の子が溜池に落ちて死亡した。夕方まで元気に遊んでいたが、急に行方不明になったと近所で大騒ぎになったが、一緒に遊んでいたらしい子の話から現場を割り出したが、既に遅く溺死してしまった。新興住宅地は元々ミンクなどの養殖をしていたりした牧場跡地だった。農場によくある溜肥えの穴が雑草で隠れていたようだ。造成工事時点で埋め戻していればこんな事故は起きなかったのだろうが、僅か、造成許可地の境界外だったとか造成工事業者の事情もあったのだろう。大人たちはそんな空き地で遊ぶこともなく、溜池の存在すら、その事件で初めて知ったし、住んでいながら、以前は牧場地だったと言う事すら知らなかった。その事件の数年前には近くの大型商業施設をオープン初日に訪れた人たちが次々と下痢・嘔吐で大騒ぎになった。何でも地下水を利用した水道水を利用した飲食コーナーで軽食を食べた人たちばかりだった。その原因もかつてのミンクの牧場跡地だった。ミンクは生魚を好み、魚のアラなどを大量に与えていたらしい。魚のアラは傷みやすく最近も発生しやすいが、長年土壌にしみこんで地下水を汚染していたようだ。新興住宅地に住んでいても過去の事を知っている人は少ない。数年前には地震発生で我が家から200m~300mほどの住宅数軒が地盤陥没で傾いてしまい、住むことすらできず、ローンを残したまま取り壊された。今も空き地になって久しい。その原因も水をせき止める牧場の擁壁が地下に残されていたため地下水が溜まり、地震で液状化を起こしたようだ。閑静な住宅地にも知らないところで危険は隣り合わせている。また、あの当時の子供たちの事故など起きないよう大人たちも近隣の事を知って、予防安全に気を配ってあげなければならない。