「地を這う祈り」と「最貧困女子」
「見たくないものは、見えないことにする」という姿勢が、「えっ、いまの時代にそんなことってあるの?」と驚いて見せたりする。自分にとって不愉快なものは、目をつぶって(スルーして)生きていく。目をつぶってもそれはそこにあり、そこで生きている。
最新のテレビや流行やファッションやスイーツや車や観光地の話やエトセトラ。戦争という言葉も、それは具体的に死体の山であり、飛び散る肉片の残骸だったり、思い描きながら語っているのかどうか。描く想像力が欠如しているからペラペラ語れるのか、また自分は安全地帯にいて絶対死なない確信持ってお喋りに講じているのか、大いに疑問だ。
それに似たことが「貧困」や「ストリート・チュルドレン」の実際にも言える。「地を這う祈り」は、目次を出すだけで内容を想像して欲しい。●スラム●少女売春婦の死(路上の性愛)●台車の老婆(食生活)●病気のドラッグ売り(薬物依存)●ゴミの中の胎児(廃品回収)●路上の恋文屋(大道商人)●テロリストの墓(紛争地)●檻の中の子供たち(障害者施設)●路上の神様(祈り)。石井光太さんが写したカラー写真と文章が約200ページにわたってついている。
世界最貧国の都市の表通りと裏通りを描いている。彼自身も身の危険を感じながら取材している。国というから、彼らに何かを差し伸べる、福祉を提供して生きるのを助けるという機能が全く働いていないことに、憤りを覚えながら、最貧国であるがゆえにとてもお金がそこまで回らない。日本の特派員も簡単に行ける場所なので、彼らもたぶん著者の石井さんが目撃した悲惨な風景を飽きるほど目にしているはず。しかし、それを、本社に送っても写真の掲載は不可になりそうなものばかりだ。そして、もう1冊「最貧困女子」(鈴木大介・幻冬舎新書)。
「家庭の縁」「地域の縁」「制度の縁」の三つの縁が切れて、生きるためにセックスワーカーへ吸収されていく小女(女性)たちを20余人ルポして歩く。家庭の中での虐待から家出、相談する友人もなく、路上へ。そこに手を差し伸べる同じ境遇の女性や性ビジネスの男たち。社会福祉の詳しい制度も知らない。取材経費を使うので、風俗を経営する男たちにも取材ができている。余りの救いのなさにライターも精神的な限界を感じながら、悪戦苦闘する。
「助けてください!」と言える人と言えない人、同じ痛みでも、言えなくて放置されている人を見なくてはいけないと著者は言う。「ここで、懺悔するならば、僕は逃げたのだ。彼女らを取り巻く、圧倒的な不自由と、悲惨と壮絶から、僕は尻尾を巻いて逃げだした。そこにあったのは、考えても考えても救いの光がどこにあるのか分らない、どう解決すればいいのか糸口も見えない、そんなどん底の貧困だった」(56p)。
取材途中、幼子を残して自死したシングルマザーもいた。この本は、「精神障害・発達障害・知的障害」にも目くばせする。そうすることで「貧乏でも頑張ってる人がいるとか、貧困も自己責任だ」という無理解な人の考え方を払拭できると考えたのだ。


昔の少年
光と影、表と裏、真実と虚偽、自分がそれらのどの位置に置かれているかで考え方も物の見方も変ってくるでしょう。見ない振り、知らん振り、見たくない、知りたくない、行きたくない、がほとんどだと思う。『見ざる、言わざる、聞かざる』は、私達の祖先からも継承されている。中国が、韓国が、今も戦争と日本を結びつけて考える事の裏には理由があると思う。現代に生きる私達が知らない?知らされなかった事を彼らは祖先から継承されて来た事になる。『見る、言う、聞く』は現代ではネットでも出来るが、旅行の大手も戦場や貧困の現地を見たり、現地で話を聞いたりのツアーは企画しない。メディアも表に光を当てるから錯覚する。島国に居て外敵に守られているかのような錯覚が外の動きに鈍感になりつつある平和ボケの現代の私達に問題解決など出来るのだろうか?数日前にも日本海にミサイルが打ち込まれたが花火のように楽観視している国民性は『見ざる、言わざる、聞かざる』を実践しているが、世界は今日も光と影、表と裏、真実と虚偽、をあからさまにさらけ出している。私達にはまず『知る』事からしか始められないが、それすら『あれダメ、これダメと育てた現代っ子たち』に継承できるのだろううか?
seto
先日、ある人がカンボジアへ行くと言うので、私は「ストリートチュルドレンを見て来てほしいな」と言いましたら、帰国してみたのはアンコールワット
の写真とバリ島で挙式した娘さんの写真でした。路上の子供には一切触れませんでした。欧州もロマ人(ジプシー)が観光地に多いですから、旅行案内
には、ひったくりに気をつけるよう書かれてありました。なぜ、そうなったかとか、せめてロマ人の歴史や由来を書いて欲しかった。人間同士の理解は
そこからしか始まらないと思います。「考えるのを省略する癖」が「見たくないものは見ない」「実際起きた事件を、見たくないがゆえに無かった事」に
したい、官民挙げての芝居に似ています。フランスの山に激突した格安航空機事故も、不自然な破壊(細かく破壊されてる)は単なる山へ激突しただけでは
ない。問題を副操縦士のうつ病や失恋に向けてますが、実は、あの飛行機、そのまま行くと、フランスの原発へぶつかると言うので、破壊したという説も
あります。どちらが正しいのか、資料がないので判断できませんが、せめて「政府は必ず嘘をつく」と思っていいと思います。