引っくり返しテーブル

携帯もなく、メールもなく、以前のポケベルもなく、瞬時に彼女(彼)を呼び出してデートの約束ができない、自分たちの青春(性春)は、連絡するまでが、ほんときつかった。

同じ学校なら、手紙を書いて、彼女の机や靴箱に入れて、「〇時〇分、どこどこで待つ。太郎」という具合い。しかし、待っていても必ずしも来ない。肩を落として帰るだけ。高校時代、1対1の付き合いをしていたのは、クラスに2組あればいい方で、後は無縁な集団だった。モテル男は極端にモテタが。

浪人や大学に入って、少しは緩和されたが、社会は政治の季節。軟派学生はサヨナラみたいな風潮だ。それでも彼女の自宅に公衆電話から連絡すると、まず出るのがそこの父親だ。「君は娘とどういう関係だ」「はい、高校時代のクラスメートでして」「で、何の用事だ」「はい、今度の日曜日、〇〇映画館で〇〇を見ようと誘いたいのですが。いらっしゃいますか?」「おーい、田中君というクラスメートから今度の日曜日、映画の誘いがあるんだってさ」「もしもし、〇〇子です。田中さん?こんにちわ。いいですよ。はい、午前10時、〇〇駅前の公衆電話前ですね。わかりました。」(ガチャン)。親からデート代を少しもらい駆けつけるのだ。

電話は大体、居間に置かれているから、母親や兄弟の誰かも聞いている可能性が高いから、「お姉ちゃん、あの人大丈夫?」などと夕食の会話に、絶好の話題を提供する場合も多かった。同じ町に住んでいれば、ここまで約束すればデートにありつけるが、筆者は列車の旅で金沢へ行き、帰りに、お父さんの仕事で東京へ転勤になった可愛い〇〇嬢に手紙を書き、金沢発〇時〇分、〇〇駅にに〇〇ごろに到着と約束するも、駅を降りてから探しても見つからず、あきらめて帰郷した。後日。手紙で「私は待っていた」と。降りた逆側に彼女がいたわけで、そこへ連絡する方法(手段)がない。

それからはなしのつぶて。一番安全なアポは喫茶店だ。たとえ遅れても、当時、店側は呼び出しのサービスをしてくれた。だから喫茶店のマッチは必須アイテムでそこに書かれた電話番号は万一のときの命綱。いま60歳を超えた夫婦になっている人たちは、この経験をどうにか乗り越えて、高いハードルを越えてゴールインしてるかもしれない。恋愛の場合だけど。

古いけれど、付き合うときはまず相手の親の家を訪ねて「結婚を前提に付き合いさせてください」と挨拶をして「よろしい」と「許可」をもらって(さんざん付き合った後の挨拶もあるけど)、オープンな交際が始まった。だから、親から「交際ストップ!」もかかるのだ。

「あの男、留年ばかりで、就職もせず、何を考えている。〇〇子、もうあの男を諦めなさい」とね。自宅に電話しても名前を名乗れば「もうかけてくるな」と父親から言われる。これは私の経験ではなくて、友人の又聞きなので誤解のないように。携帯やスマホで自由な世の中にはなって、男女の交際のハードルが超低くなったものである。会いやすく別れやすいかもしれないね。しかし、考えようによっては、結婚に第三者が入ることで、冷静な目が入り、失敗が少なくなるかも。希望的観測だけど。

  1. 恋多き青春ですね。当時の定番、現在では死語の『ラブレター』のおかげで文字を覚えたり上手な文字を書けるようになったり、書けば書くほど旨くなりました。カッコよく見られたいし、文字は大切なコミュニケーション・ツールでした。早熟な僕は先輩達を尻目にたくさんの手紙を貰いうらやましがられましたが当時はプラトニック・ラブ?とかで、よほどの覚悟をしない限り決して不順な深入りはしませんでした。公然としたお付き合いで最後は親や兄弟姉妹の介入が壁にもなっていたからです。通信手段もお互いの知人友人を介したり、直接会って約束したりですが、複数で会うことも多かったので清純なお付き合いが基本でした。映画は勝手に時間を制約してくれるのでデートに好都合でしたが、必ず知り合いに冷やかされる場所でもありましたね。今では高校生の男女が手をつないで通学しているのを見て眉をしかめる側に居る自分に、昔の彼女たちの親の気持ちを味わっていますね。

    • なるほどですね。定番が映画とか公園ですね。実に冷やかしの多い時代でした。半分、うらやましさが混じってるのですがね。青い春がいまでは灰色の春
      か黄砂の春で、お金持ち老人は黄金の春を謳歌してます。いっぽう、最貧困女子という本もあります。どちらも青春です。

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