筆者が昨年6月から通勤するようになり、リサイクルショップでイタリア製のバックを3000円で購入した。肩に掛けて知り合いの学校を訪問。するとそこの代表がめざとくカバンを見て『いいバックだね。僕はカバンフェチで。そのバック、売ってくれない?』と言われた。バックを売ってくれといわれたのは初めての体験だ。


かばんフェチは女性のブランドフェチとは違って、別にブランド云々はどうでもよくて、使いやすさ・素材の良さに惹きつけられるらしい。カバンに限らず、誰にもフェチ(愛好癖)はあるもので、普通、性的な意味で使われるが、それ以外でも応用の利く言葉だ。


昔から収集家という言い方があるから、男の場合、フェチというより収集するのが好きななコレクターだろう。切手、昆虫、鉄道、プラモデル、コイン、映画パンフ、マッチ箱、レコード。雑誌や本、オーディオマニア、バイク、カメラ、ライター、時計、ワイン、化石や石、大リーグのキャップなどキリがないくらいいろんな分野で収集家はいる。元祖ロリコンの語源『ロリータ』を書いた亡命ロシア人作家ウラジミール・ナバコフもいたけれど。少女の収集は犯罪である。


女性の収集家はブランド物や西洋骨董・プリキア物や熱烈なアイドルのグッズ以外、意外に少ない。なぜだろうか?私は収集癖はないが(?)、整理整頓が下手なので一見、外から見て集めているように見えるらしい。CDや本や新聞切り抜きなど。集めてもいずれ死を迎えるわけで、それを残された人間が処分するとき『たっぷり残額のある金額の預金通帳』『金の地金』『株券』『地価の高い土地』『貴金属(本物)・ブランド時計』は金になるから、形見分けでは人気が高い。形見でもらってもいずれそれを捨てる時期が来るんだけど。一時、それを忘れる麻薬が遺産だ。


しかし、それ以外、和服類は誰も要らないとなる。マニアが徹底して分類を施した収集品は彼の亡き後、博物館や学校へ寄贈すればいいが、収集家は夢中になっているときは、集めたもののその後は余り考えない。ある年齢にならないと身辺整理には思い及ばないものだ。クリスチャンの知人が父親から書・画や骨董・彫刻類・刀剣類を保管していて父親が亡くなったときに兄弟から『売却してお金にして均等に分けようと』提案があった。しかし、彼は『すべて函館の市立博物館と道立近代美術館に寄贈した』と言っていた。文化財の散逸を防ぐためだ。学芸員がやってきて真贋の見立てをしてくれたのである。


レベルの低い話だが、定年を期に、私はBOOK OFFに来てもらい、学生時代からの本を大半処分した。40年以上再読していない本が多かったからだ。子供たちに読んで欲しいなと思い、手にしやすい場所へ置いても一度も彼らは見開いて読んだ形跡がない。希望はあっさり失望へ行くから、初めから望まなければ良かった。希望通り育たないのが子供。希望があるなら自分がそういう人間になればいいだけのことだった。この年齢になって気づいても遅い。『かばんの収集家』の話からずいぶん遠くまで来たものだ。皆様、楽しい連休を。きょうで663本目のブログになりました。

  1. 本皮の鞄は盗られ

    革製の鞄は車上狙いにガラスを割られて盗られました。それ以来,鞄は布製か人口皮革に変えました。とは言えブランド品でも人工皮革製品はありますが,選ぶのは機能重視で購入しますからブランド品は役に立ちません。せいぜい1~2万円以内の丈夫で14.5インチのPCや充電コードやマウスが入る比較的大きめの鞄です。くたびれて穴でも開いてきたら購入する程度ですが,それでも鞄は良く購入する方ですね。持ち歩くには軽い布製の小ぶりの方がいいのですが,ほとんどクルマ移動なので大きくても気になりません。鞄の中は絶えず整理整頓しなければ日に日にかさばって重くなりますね。鞄マニアの人たちはどんな風に保存しているのでしょうね。相当スペースも必要ですからね。

  2. ネット時代。

    収集マニアは一種の病気みたいなものですね。レトロなものを収集したり大切に保管したり,家族が理解者でなければできませんね。僕も一時期ですが古い車やカメラに夢中になったこともありましたが,年間の維持管理費に100万も使ったこともあり,回顧主義的な収集は辞めました。古銭も切手も若い時に辞めました。今はPCやスマホの時代でネットなどで調べれば何でもありで,手元に収集しなくてもよいのではと思うようになりました。欲しいものがあれば一つくらい持つのはいいかも知れませんが。

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