転職で書く模範の履歴書らしい。

ある文化センターの社長と話をしていて、受付担当の募集をハローワークに登録して募った。男女雇用機会均等法で性別・年齢を相当な理由がない限り公平に募集する。たくさんの履歴書が来るけれど、ある時期から手紙を書いて履歴書を送る人に60歳を過ぎたおじさんが多いことに気づいて、読むのを止めたと言っていた。おじさんは社長である自分ひとりでいいということらしい。


手紙の中身で多いのは、こんな教室を開いたら?とか私はかくかくしかじかの実績があり、文化教室をますます繁栄させることができる話を延々と書かれていて、過去、営業マンの男を採用したがさっぱりダメであったことに懲りたのだ。履歴書が届くと、まず分厚いやつは読まないでポイする。私自身も書くのが好きだから、筆者も捨てられたような気がして社長の話にショックを受けた。多忙な身であれば無駄な労力は使いたくないのも真実だが採用・不採用は社長の判断ひとつなので仕方がないか。


しかし、出す側からみて、長々と書くのも労力の要ることで大変である。履歴書を書いて、写真を貼り付け(ない場合は撮影にお金をかけて)、手紙をセットして投函するまでの営みを考えると、せめて読むだけは読んで欲しい気もするのだ。筆者転職3回目のときに、山のような履歴書を書いて、山のように履歴書が戻ってきた頃を思い出してしまうエピソードではある。


いまは履歴書もメールで送る時代だから、直筆の履歴書は少ないのかもしれないが、どんな企業であっても100%倒産しない企業はないことを思えば、働いていれば病気になったり、会社が無くなったりして、年齢に関係なく履歴書を書くことが出てくる。筆者は若いときには『俺を見てくれ、大丈夫だから俺を採用しないとお宅は損をしますよ』と生意気な男であったが(いまもその片鱗はあるが)、男の顔は履歴書といえるほどの実績もなく、顔もにやけて、いま考えると社会に不満な顔であった。採用する会社があるわけはない。


ようやく見つけたのが地元の広告会社の営業であった。私が採用されるということは、誰かが入社できず落ちているわけだ。入学試験と同じである。4月に入り、新入社員も初めての給料をもらころだ。私は初給与をどう使ったか覚えていない。とにかく結婚するまで貯金はゼロであったから、全部遊び金に消えていた。計画性のない人生であるが、30年経過してパソコンが普及する時代になるなんて予想もしていなかった。『履歴書を相手先に出す』という単純な行為でもけっこう勇気が要る。出さないと何事も始まらない。次は面接が始まる。


4月17日号の『AERA』に東芝がなぜここまでになったか、現実の社員・OBに取材を試みた記事が載っている。若い世代の技術職にはたくさんのオファーや、転職以来の電話が来ているらしい。筆者の自宅はテレビからエアコン・パソコンまで東芝製品で溢れている。なぜか父の代から東芝製品が好きなのだ。社員が残るにしろ転職するにしても、どうか体には気をつけてくださいと言うしかない。3代も4代にもわたる経営陣の強引な経営を、野武士的な日立と比較している記事や『ノモンハン事件』で満州関東軍が中央(東京)との意思疎通なく、現場の情報隠しと今回の粉飾決算でアメリカWH社の損失隠しとかぶせて書いている。私も北海道東芝支社の縦割り組織を改善するねらいで、広報誌を作っていて、余りページで(東芝太郎)の名前で本の紹介文を書いてました。

  1. ウソだらけの履歴書。

    履歴書にはウソが多いですね。見栄を張ったり,きれいごとばかりが並んでいます。従って書類審査の場合の参考資料にしか過ぎません。面談で大体の事は判明しますが,それでもウソは見抜けません。採用してしまってからでは遅いので早い時期に判断していかなければなりません。無理な年齢と分かっていても執拗にアプローチして来る人も多いですし,失業している理由をはっきり言わない人も疑わしいですね。本当の事だけを話してくれれば採用側としては有難いのですが,こんな時に役立つのが業界の情報ですね。前職を辞めた理由など,ご本人が隠している重要な情報が得られますから。しかし,最近では個人情報保護法もあって,前職の会社に聞いても教えて貰えなくなりました。

  2. ありのままで。

    不採用の履歴書は,即,返却することにしています。理由は手間暇と費用を掛けた大切な個人情報だからです。履歴書を書いた方もそれを望んでいると思いますし,また次の応募にも使えると思います。自分がその身になれば,捨てられるなどもっての外ですね。自分の転職の場合は制作物を持参して行き判断してもらいました。例えば、新聞広告だったり,ポスターだったり,パンフレットやチラシだったり,TV-CMの絵コンテだったり,イベントの企画書など現物を長くて大きな紙筒に丸めて入れて持参しました。口数は少ない方ですので,余り喋らず,簡単な履歴書と作品を渡して帰ってきましたが,ライバルも沢山いたようで,中には電通を辞めたと言う方も居たらしいですが?大手を辞めて4番手の会社に応募する必要などあるのですかね?。しばらくして採用が決まりましたが,ウソの無い実績が決定基準だったようです。更に,東京本部長との面接もあって,待遇要望など聞かれましたが思い切って要求しました。一番困ったのは,自分が本州出身者なのに何故北海道に居るのか?との質問でした。とっさに出なくて「ただ何となくです」と苦し紛れに答えてきましたが,これが印象に残ったみたいで,本部社内の話題になってしまいました。偶然とは言え,何でも,強い印象を残すことも大切ですね。

  3. 僕の家内も,若い頃には東京芝浦製作所に勤めていました。給与は良かったようです。その後,北海道に移り住んで転職してしまいました。また,知人も最初の就職が東芝だったと聞いています。田舎の知り合いも大阪の東芝の役員と聞いていました。僕の週ににも東芝関係の人は多いですね。家庭ではTVや,照明器具など,また会社ではPCも東芝製品を使っていますね。組織の図体が大きくなり過ぎれば,食べ物だけは沢山要求しますが?血の巡りは悪くなります。グループ社と言う末端神経までコントロールしきれなくなった脳細胞の衰えの現れですかね。血流を良くしなければ立ち直れませんね。

  4. 正社員と退職金。

    或る時,転職の際に,同時入社の営業社員を同行して東京本社まで出向いた。僕の営業所長の立場は決まっていたが,待遇を決める社長と総務部長面談だった。年齢が高い僕は,すぐ定年になるので「一年更新の契約社員」を申し出て,給与は前職の基準額を要求した。会社側はやや渋って歩み寄り相当額で落ち着いた。さて同行営業社員の処遇の話し合いに移って,同じ契約社員で相当額の交渉が成立した。本人も喜んで北海道に戻ったのだが?,翌日彼が泣いて来た「カミさんに正社員にして貰いなさいと言われました」と。本人の意思で決めた事だったが?,家庭に戻ればこうなるのか?と。早速東京に電話して待遇を正社員に変更して貰ったが給与額はグンと下がった。それでも本人は退職金が貰えるので納得したようだった。が?しかし,しばらくして彼は僅かな期間在籍して退職した。もちろん退職金などほとんど無かった。

  5. 不真面目な面接が採用の決め手。

    面接で,普通の会社なら,余りにも口の旨い人物には警戒しますね。口数は少なめに,余計な事や,聞かれもしない事をペラペラ喋るのはいけませんね。当然ながら「わが社を選んだ理由を聞かせてください」となりますから,事前に十分調べた上で面接に臨まなければ恥をかきますね。世の中が平和な昭和後期には,とんでもないパフォーマンスの面接も有って,それが決め手で採用されたケースは幾つも聞いています。例えば,友人二人が段ボール箱を面接官の前に運んで来て,その中からビックリ箱よろしく飛び出してビックリさせたり,面接の間中,膝上に組んだ手の親指をグルグル回していると「君はそれしかできないのか?」の問いに「逆回しもできます!」と。面接官を驚かせたり、笑わせたりして難関突破した知人も居ます。ちゃんとした大学を出て居るのですが,面白い奴でしたね。今では,こんな不真面目な面接は無くなりましたね。面接は別にしても,ユーモアは大切ですね。

  6. 私が或る会社に入社数年後の事。北海道の営業所に新人も増えて,社員一斉に社内試験を実施すると本部からの命令でした。全員に問題用紙を配って1時間後,私が採点する事になりました。入社後の試験は意外な結果が出ました。ベテランの成績が悪く,新人の成績が良かったのです。本人たちには直接知らさず本部に報告しました。かなり難しい問題でしたが,幸いにも試験大嫌いな私は試験官でしたから免れました。私も対象だったら多分大恥かいていましたね。でも,有名大卒の頭のいい社員はエクセルなどの超達人で,試験結果も97点でしたが,営業成績は最低でしたね。学業成績の優劣と仕事の成績とは余り関連がないようです。仕事の前に,頭で推理行動してしまうのでしょうか。それも,プラス思考なら良いのですが,初めっから駄目と結論付けてしまうからでしょうか。

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