ジヤガイモの歴史(第1回)2016年10月21日
『ジャガイモの歴史』(2016年10月の再掲載ですが)を3回にわたって掲載します。4回目は新原稿です。
ジャガイモの歴史(1) あなたもジャガイモ通に。
これまで、豚肉の歴史など、食材の歴史シリーズを出している原書房の本を借りてきた。
私の知り合いも近所で50ヘクタール(広さが実感できない)の農地を耕していて、札幌でのサラリーマン暮らしを辞めて農家を継いだわけである。きっかけは、草取りのバイトに筆者が応募し、農業の話や政治や将来の日本農業やTPPや雑談がきっかけであったが、その真摯な姿勢に打たれて、肉体労働は2日間でダウンするが、『何か、彼のために役立られれることはないか?』と欲を出したわけである。
偶然、札幌で飲食を経営する会社の役員と面談させたら、地産の食材を品数多く作って欲しい旨の要望に彼は『やりましょう!』と即断した。ビニールハウスで実験栽培したレタスは北海道を次々通過した台風並みの雨風で全滅したが、一番作付け面積の多い『ジャガイモ』は、全部収穫に漕ぎ着けた。紹介した飲食店のほぼすべての店のジャガイモは彼の農家から仕入れたものである。
実は私の父もニセコ町(旧狩太・カリブト)で生まれ、ジャガイモ農家に生まれたが次男であるため尋常小学校を出て、貧乏であるために、教員への道を諦めて満州へ渡った。温暖な土地なら『米』を作れるだろうが、寒冷地の北海道に向いた作物として選ばれたのが、貧弱な土地でも1本の苗から収穫の多い『ジャガイモ』であった。
寒冷地のアイルランドやスコットランドから移植された。北海道では馬鈴薯とも言う。鈴なりに成る薯(イモ)で馬に引かせて収穫したから馬鈴薯と名前がつけられたのか?『ジャガイモ』について語ることは、私にとっては78歳でトイレで脳梗塞で急死した父の面影を思い浮かべることでもある。しばらく『ジャガイモの歴史』に付き合ってください。
知ってのとおり、ジャガイモは南米原産の野菜で、人類の祖先がアメリカ大陸へベーリング海峡を1万6000万年前にやってきて、西部海岸に沿って南下して1万4000年前にチリ南部に到達した。初期のアメリカ先住民は食用にさまざまな野生植物を食べて生きてきた。その中で、南アメリカの全域、中央アメリカ、北アメリカの南西部に広大に生育していたのが『ジャガイモ』で235種もあった。これほど野生種の先祖を誇る植物はない。ダーウィン流に言うと多品種であるがゆえに生き延びる可能性に適した、どんな天気であっても強いものが今日まで続いてきたということになろうか?
特にアンデス山脈は世界最高峰の山々が連なる。平らな土壌や肥沃な土壌がない。アンデスの農民は山の斜面に段々畑を作り灌漑用水路を作りたくさんの品種を育てたが、中でも『普通ジャガイモ』が世界中のスター食べものになった。その成功は約1万年前、チチカカ湖盆地でアンデスの農民が栽培に成功した。世界中で農業に最も不向きな土地で、ジャガイモイが人間の主食になった。
日中は暑く茎の成長を促し、夜は寒く根の成長を促して、それが根にたくさんのジャガイモを作ることになった。気に入ったジャガイモの苗は次の年に植えて(クローン化)200種類のイモを作っていたのだ。1万年前の話だ。さらに肥料としてアルパカやリャマの糞を土壌に入れて肥料にして収穫を増やした。さらに南米の原住民は飢饉になっても、ジャガイモを何年も非常食として備蓄する方法も考え出した。ジャイモを冷凍乾燥させ、食べるときは水で戻したり、粉にして焼いてパンにしたり、スープにして食べるのだ。チューニュ(乾燥ジャガイモ)の誕生である。リャマの背に積んで標高の低い土地へ行き、トウモロコシ、コカ、キャッサバと交換する。
アンデス文明の起源は4500年前にさかのぼるがこの時期の土器にもジャガイモを象(かたど)ったものがある。紀元1200年ころ、少数民族インカ人がアンデス山脈の近隣部族を吸収していく。最盛期には900万人から1500万人の人口を擁したとされる。不思議にインカ帝国には税金がない。その代わり肉体労働で土木事業に従事する義務がある。倉庫づくりも大事な仕事で、そこには数年分のチューニュ(乾燥ジャガイモ)を備蓄した。インカ帝国でもっとも大事な農作物であった。
第二回は、ここにスペイン人たちがやってきてヨーロッパへ伝わっていく話だ。そして、それが北海道へ伝ってきて、今日のポテトチップスや道産土産カルピー『じゃがぽっくる』の話までいくといいが。(千歳のカルビー工場見学は大人気で早めの 予約が必要。)ジャポックルの原産ジャガイモは十勝の契約農家が作っていて、今回の台風被害でピンチである)
我が家の備蓄貯蔵庫。
考えてみれば?神の?導きか?それとも動物的な感か?ジャガイモ大好きの僕は,いつの間にか一番のジャガイモ王国北海道に住んで居る。不思議だ。玉ねぎとジャガイモは北海道産が一番うまい!。毎日食べても決して飽きない主食のコメにも似ている。最近では北海道のコメも美味しくなったが,コメが無くても,ジャガイモを主食にしてもいいくらいに大好きだ。煮ても焼いても揚げても茹でてマッシュポテトやサラダにも何でも加工できる。本州時代の自家製ジャガイモは少し水っぽかった。北海道のジャガイモは品種も多く,ニセコ産,真狩産,倶知安産,長沼産,十勝産など産地別にも楽しめる。北海道に長く住んでしまったが,未だにジャガイモファンだ。そうだ!今日は大き目に切ってカレーに入れようか?朝は味噌汁にも。我が家の貯蔵庫「ガレージの棚」には長沼の農家から直接買ったジャガイモが段ボール箱に沢山備蓄している。
seto
ジャガイモさえあれば生き延びれる、不思議な作物です。私も近所の農家からいただいた5キロ
のジャガイモがいまも床下の貯蔵庫に置かれて食べてます。老人二人ですから、これで十分。
農業と札幌。
所帯を持ってアパートに住んだが,冬季札幌オリンピック開催で道路拡幅や高速道路の高架工事が始まると言うことで立ち退きとなった。当時の立退料20万円は大きかった。立ち退きと言っても運よく直ぐ裏手に一棟二戸建ての借家の空きがあって2~30mの距離での引っ越しだった。そこの大家さんが篠路の農家だったので,収穫期になるとジャガイモやトウキビや玉ねぎを沢山いただいた。貧乏暮らしには一番有難たかった。大家さんとは親戚のようにお付き合いして,たまに遊びに行くと玉ねぎを俵でくれたり,野菜も沢山いただいた。札幌も玉ねぎの産地でブランドにもなっていて美味しい。今では仕事で丘珠の農機具メーカーのジャガイモや玉ねぎやトマトの選別機のカタログ制作にも関わっているが,農機メーカーまで有ると言う事は,かつて札幌も農業が盛んだったのだろう。
seto
タマネギは札幌東区郊外の丘珠地区ですね。土地を売った農家は皆、億万長者になりました。通った
高校もタマネギ畑の真ん中で、夏に窓を開けるとタマネギの強烈なにおい。「おい、窓側の席、くさい
から窓を閉めてくれ」と言った教師を思い出しました。
農業体験。
昔,田舎でジャガイモの種芋は包丁で半分に切って,切り口に藁灰をまぶして,畑の畝に植えていました。暫くすると芽が育ち,葉が茂り,白い花が咲きました。新ジャガの収穫は楽しみでした。色の白い皮のジャガイモがいっぱい収穫できました。サツマ芋も同じようにしていたと思いますがよく覚えていません。田舎での身近に見ていた色々な農作物の育て方をもっと真剣に覚えておけばよかったと,今になって後悔しています。やれば出来るのかもしれませんが?長い間,土をいじっていません。昨日も札幌郊外を車で走っていると,貸し農園が,区画割りした農地の借り手を募集していました。サラリーマンや,退職者の人たちらしき人たちも作業していました。