ジャガイモの歴史(第2回)2016年10月23日
ジャガイモの歴史(2) ヨーロッパへ伝わる。ブログ768回目
昨日に引き続いてジャガイモの歴史です。北海道在住のジャガイモ博士のブログを教えてくれた人がいましたので、下記にアドレスを載せます。バレイショ(ジャガイモ)博士浅間和夫さんです。
http://www.geocities.jp/a5ama/e000.html
前回は、中南米のジャガイモ起源の話を書きました。その前に、スペイン人がカリブ海諸島で『味は生のクリに似ているが、こちらのほうが少し甘い』とインディオが食べていた塊根植物があって、実はこれは後でサツマイモとわかった、16世紀初頭の話である。焼くと蜂蜜のように甘くなり、生育も早く、根は数ヶ月間保存できて、長い航海には最適のイモも見つけた。
奴隷商人で冒険家ジョン・ホーキンスが1565年、実はサツマイモであったイモにpatata(パタタと現地で言われていた名称)をpotato(ポテト)とネーミング。その後、ジャガイモに遭遇してもポテトという名称をヨーロッパで使い続けるようになった。1573年にスペインセビリアの病院でジャガイモが使われている記録があるが、ジャガイモが南米の西海岸からヨーロッパへ届く前に腐るはずなので、ある歴史家の仮説では、カナリア諸島(アフリカ大陸北西部)で一度根付き、そこからヨーロッパへ1560年代に輸出されたと推理している。
ジャガイモは生育環境が、冷涼多湿に適しているため、最初の到達地スペインは高温乾燥で適さず、すぐにイタリアへ。さらにここから北や東へ伝播した。スペインが100年間、ペルーのポトシ銀山で取れる銀で軍備を増強し、ネーデルランド(オランダ)と戦争したとき、補給線沿いに農民はジャガイモを植え、スペイン兵士や補給部隊に売って儲けた。1570年にはイタリア、1581年にはドイツ、そしてスイス、フランス、ネーデルランド(後に日本へジャガイモを伝えたのはオランダ?)へ。
簡単な道具で栽培できて、3~4ヶ月で栄養価の高い実をつける。イギリスへの伝播には、海賊ドレークがカリブ海から運んだという俗説もあるが、長旅には適さず、カリブにはジャガイモがなかったことから、大陸ヨーロッパから伝わったと見るのが妥当だと。また、ジャガイモは当時の食料事情を考えて有用な、誰からも歓迎される食べ物ではなかった。なぜなら、『ジャガイモは有毒で、ハンセン病や赤痢などの病気を運んでくる』と考える者もいた。(O157がカイワレ大根が原因だとの風評に似ている)フランスのブルゴーニュでジャガイモ作付け禁止令も出ているくらいだ。18世紀末まで偏見は続く。
ドイツでのジャガイモ栽培は17世紀だ。戦争と天候で史上最悪の飢饉(1701年から1714年、スペイン継承戦争)で農民も兵士もジャガイモを積極的に栽培開始。後にデンマーク、スウエーデン、さらにプロイセンでも栽培開始。17世紀後半までにはイングランド、スコットランド、アイルランドへ。それを見て、ロシアのエカテリーナ2世も栽培を命じた。小麦が不作のときにジャガイモは代替食料になったのである。
肉じゃが。
ある社長さんが言っていた。『ドイツの食事はジャガイモやらソーセージやら豆ばっかりで飽きるよ」と。それに比べれば,日本食はジャガイモもあれば何でも有りですね。日本人の食事も欧米化の傾向にはありますが,豊富な食材に囲まれて贅沢になっているのかも知れませんね。今や,ヘルシーで栄養価も高い,元来の日本食は世界でも注目されていますね。ジャガイモも日本流の料理では「肉じゃが」などは絶品ですね。
seto
ヨーロッパは地中海沿岸地域の料理は美味いと聞きます。しかし、オリーブオイル
が苦手だと食べるのも苦労すると義理の姉が言ってました。ドイツは北海道と同じ
くらいの緯度ですから。ビールを飲むときソーセージ(ウィンナ)を焼いて、生さわび
をつけるのが定番だとドイツ通は言ってます。肉じゃがいいですね。
ポテトのグルメ。
昨日,円山あたりをクルマで通ると「イ~シ~焼き~芋,イモ!美味しい,美味しいおイモだよ!」とワンボックスカーのスピーカーから聞こえて来た。食べたいな~!と思ったが,やめた。考えてみれば今では「焼き芋」も千円もするわけで,ぜいたく品になってしまった。スゥイート・ポテトなどは高級スゥィーツだ。
seto
1000円で大きなので2個、顔見知りになると小さなイモを1個サービスしてくれます。
イトーヨーカドの石焼きイモは1個300円で蜜が入ってるような味。いつも買ってます。
やわらかくて美味しい、老人向けですが。
大通で買った焼き芋の味。
子供の頃には,ジャガイモもサツマイモも自家製がありましたから,囲炉裏にくべて焼き芋も自家製でした。茹でて薄く切って干し芋も自家製でしたよ。でも,大阪から札幌に来た当時は厳冬の大通公園をアツアツの焼き芋をほう張りながら歩いたものです。雪まつりの雪像作りを毎日見にいっていました。暫くは職もなく,することがなかったので,ストーブのある喫茶店にも行きました。大通にもそんな喫茶店があったのです。そんな時の焼き芋は格別に美味しかったですね。今ほどに高くなかったと思います。