機械には時間がない。生物には時間がある。

福岡伸一さんの名著『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)を2回目読んでみた。何度読んでも、彼と一緒にメスを持ってマウスを解剖しながら歩み、ニュヨークやボストンを歩く気持ちになる不思議な本だ。細かいところは難しくて理解できないところも多いが、学生時代、分子生物という学問を日本に紹介した・慶応大学医学部の渡辺格(いたる)さんの本で出会ってるから、学問の存在をを知って40年になる。


最後はヘラクレイトス『万物は流転する(パンタレイ)』というギリシャの哲学者の話に戻るのが気に入っていた。養老孟司さんもよく使う言葉だ。それは輪廻とは違って、戻らない1回生の出来事で後戻りができない。死んだら生き返らないのと同じだ。流れ続ける。そのときは戻らない。福岡さんのテーマは流れるだ。


しかし、機械は部品を交換すれば動き出す。会社や工場から見たら、その人がいなくなっても代替が利くのと同じだ。さらに人件費ややっかいな人間関係のないッロボットが代替できれば最高だ。しかし、時間のある人間〈生物〉は後戻りできない。外的な条件の変化で起きる(?)細胞の変化やDNAの突然変異が、以降の時間を通じて反復される。


これを証明するために動いているままの姿を記述し続ける困難な営みを福岡さんは続けている。企業も細胞に見えてくるから不思議だ。そこの人(細胞)が無くなっても、周りの人たち(ピース)が次の代替を作る。それも自然に。それはシステムとかある指令から流れるように作動する。もともと、人間が食べたものは、どういう仕組みで栄養として体に吸収されるか考えたことがあるだろうか?吸収されるためには、血液の中へ栄養素が入っていかないと栄養にはならない。


ミミズを思い浮かべると、口から入った土はお尻から出る。土の栄養を取って、何かを加えて結果的に土壌を肥やす。人間もミミズの環形動物と同じに考えれば、口→食道→胃袋→小腸→大腸→便という流れにある。どうやって血液中に入っていくのか?すい臓のランゲルハンス島から出されるホルモン、種々の消化液が細かく栄養成分を分解して、血管の壁を潜り抜けて細胞に入り込み、取り込まれないと栄養にはならない。なぜなら血液に入らないと全身へ栄養素は行き渡らないからだ。


福岡伸一さんは、人間の外部として(ミミズのような環形動物をイメージして)口・食道・胃袋・小腸・大腸・肛門を考えるとわかりやすい。これらは人間の外部なのである。チクワ(穴がすっぽり空いた)の穴を食べ物がすり抜ける、チクワの内側の壁が血管だと思えばさらにわかりやすい。話が横にそれたが、機械は無時間、生物には栄養の日々の取り込みもあり、時間の有限さにようやく支えられているのだ。

ダーウィン最後の研究が実はこのミミズで、ミミズがいなければ地面、地味豊かな大地、生物の多様性を支える基本ができなかったことに気づいたのだろう。

  1. 人間後退論。

    ミミズの排泄物は土を肥やし再生させて草花や野菜などの役に立っているのですが,現代の人間は水洗トイレで下水道に流し,汚水処理はするが海を汚しているだけのようです。昔の田舎では下肥を使って菜園で野菜を育てていましたが,巡り巡って体内に回虫や蟯虫も宿しました。つまり人間もこのような生物の温床として役立っていたのでしょう。自然の中で共生するには,どこかでお互い様の状態が必要なわけですね。登山家の今井道子さんが僕に話してくれたチベットの高地に住む人たちの暮らしを思い出します。高床の床のスノコ状になっていて,排泄物が落下する下層階には家畜の豚や鶏がそれを処理し,さらに家畜の排せつ物は野鳥がついばみ,野鳥たちは自然の草花に栄養を与え,野草たちは昆虫に蜜を与え,昆虫たちは受粉の手伝いをして美しい草原を創り出す。これこそが本当のリサイクルなのでしょう。臭い物には蓋をして生きる現代の私たち人間は,果たして自然界の役に立っているのでしょうか?

  2. 危険な生き物。

    すべての生き物にはミミズと同じような役割を与えられているのでしょう。どの生き物をとっても自然界で何かの役に立っていると思います。害獣,害虫,毒草,毒キノコなど危険なものもありますが,知らないところで,きっと役に立っているはずです。狭い地球の中で長く生きるためには自分勝手では生きられないでしょうね。実際には危険な生き物の一つ「人間」がいますけどね。

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