社風って・・・どうしてつくられるのか?
永年、営業職をしているとたくさんの企業・団体を出入りする。面白いのは肌で感じる社風で透けて見えることがある。チラリズムである。最近はセキュリティを重んじるとして、デスクを見せない企業が多い。のぞきストップであって、営業の最初の楽しみを奪われる。
しかし、ドアを開けて、中に入ればしめたもの。その企業の人間関係まで伝わってくる場合も多い。全体的に職場は静かになってしまい雑談が極度に減っている。広告代理店T社からD社へ転職した人に道で会うと『いやあ、静かで静かで困るわ』と嘆く。『前の会社はやれ昨夜の日ハムの試合についてぺちゃくちゃするが、こちらはシーンとパソコンのキーを叩く音ばかり』。民営化する前の「道路公団」に行くと、若い社員が窓側に座って新聞を読み続ける課長を「天下りで来て、朝から晩まで新聞を読んで、あれで高給をもらうのですからたまりません」と愚痴った。民営化された後も何度か訪問したが、そのときは、事務所へは入れず、1階の応接スペースで打ち合わせ、社内をできるだけ見せないよう工夫をしている。個人情報保護法やら、Pマーク導入で外部の人間をシャットアウトしてから、社内の不正(横領)や社員の感情障害が増えてきているように私には思える。外部との風通しが悪くなって淀むのだ。ネット社会になって、同僚との飲み会や仕事帰りの(おしゃべりタイム)の予約を「大きな声で自分の声で誰もが聴こえるように話すのではなく、こそこそ伝える」人たちが大量になってきた。プライバシーだと言う。そうだろうか?その程度のことが。悩みを共有してどうして知恵を出し合って助け合わないのか不思議に思う。結果的にそれが、社内の不正を減らすことになると思うからだ。秘密を持ちすぎたり、権限をひとりに集中しすぎると、必ず金銭横領や社内不倫の頻繁化、経営者の独善も社員の不正を生む。恨み辛みが会社を傾かせるように働くのだ。自分の銀行口座に、スポンサーからのキックバックをさせたりする。博打と女、派手な夜遊びと見栄で借金。定番である。見える人には見えることで、しかし、それを通報した場合に「間違っているかもしれない」「報復される」ことを恐れて知らないふりをする。
結論は、社風は社員それぞれがつくるのではあるが、現社員だけでなく、過去の先輩OBたちが作り上げた人間関係や言葉使い、縦や横の人間関係、加えて企業トップの価値観(教養度)に左右される。しかし、理想は社員に優しい企業、人を大事にする企業。結果としてそれは企業を支える消費者や他企業との良好な関係を構築できる企業ということになる。乾いた砂漠のような企業が多い中で、あなたの言動が会社に良い風を起こすかもしれない。
気持ちのいい関係。
昨日、打ち合わせに伺った会社では、以前は営業職で僕とも仕事をしていた人たちが社長に成ったり、取締役になったりしている。創業者の前々代社長の息子さんが社長になってから、社風が変わったように思う。今では会長職だ。会議室で、社長も、役員も僕を良く知っていてプレゼンと打ち合わせもスムーズに進行した。なんと会議が30分で終了。また次週の同じ時間に資料を作ってから二度目の打ち合わせと決まったが、帰社後、早速取り組み、来週を待たずに会議準備も終了。気持ちの良い関係での仕事ははかどります。最近では、この会社の社員から社内の役員たちの愚痴を聞いた事が無い。
皮肉は愛情の裏返し。
上に物を言えない社風の会社は沢山ありますね。言えば、営業成績や業務効率を指摘されるからです。業務の効率が良かったり、営業成績さえ良ければ可愛がられるのですが、全員がそう言うわけには行きませんね。これを言えば反対されるとか、馬鹿にされるとか、臆病すぎる社員側にも責任は十分ありますね。クビになったらどうしょう?とか、減給や降格されたらどうしょう?などの心配から、つい臆病になり、YES MANになりがちでしょうが、ジョークで交わしながら言いたいことを言える雰囲気づくりも大切なのではないでしょうか。皮肉めいた応酬はあると思いますが、皮肉も愛情の裏返しと思って、社風は社員から進んで変えていくべきですね。