6月26日のイソップ物語「捕虜になったラッパ吹き」についてのコメントを再録します。流行の始まりとその拡大プロセスについて書かれています。何かの参考に。今後、彼のコメントはときどき載せます。切り口がいいので。

流行は、街の小さなお店が、自分の感性に従って、リスクを冒して仕入れたり作った商品を、常連客が評価したところからはじまります。そして彼らがオピニオン・リーダーになって、仲間うちに広がっていきますが、この段階ではメディアは全く気が付きません。メディアに勤めている人は、若い頃、街っ子が一生懸命遊んでいたときに、勉強しかしなかったので、本に書いてあること以外、目の前で起こっていても気が付かないのです。
そのうちブームが誰の目にも明らかになると、メディアが動き出す。とは言っても、大衆が東に動き出したのを見極めて、その先頭に走り込んで「これからは東だ!」と叫びながら歩くだけ。知らない人からはリーダーに見えますが、その頃本当のオピニオン・リーダーは飽きてしまって、別のことをやってます。その次に動くのが広告業界で、最後にNHKと朝日新聞に紹介された時点で流行は終幕です。ちなみにこの2つは「流行殺し」と呼ばれています。
これは単なる事実なので非難するようなことではないのですが、最近は先頭を歩いて波風を受けなければならないはずの政治家までが走り込みをやってるような気がします。

娘の友人で高校生の頃からビジュアル系のバンドを追っかけてた子がいて、あるとき「もうメジャーになったから飽きた」と言っていたのを思い出しました。先頭組みですね。

  1. 作られていた流行色。

    僕の経験では,生地の色の流行の作り方の裏を知りました。ある年に「サーモン・ピンク」が流行りますとの情報が繊維系商社から入りました。サーモン・ピンクの色をベースに使ったデザインをしました。その時点で既にサーモン・ピンクの生地は繊維系商社で大量に生産されていました。その時,初めて「流行は作られていたんだ」と知りました。次の年の流行色は「モス・グリーン」でした。「ターコイズ・ブルー」の年もありりました。つまり,或る色が流行したころには,次の流行色が作られていたわけです。ファッション雑誌などで素敵なモデルが着用して取り上げられるのは,繊維系商社の販促企画の一環なのです。流行色で大量に生産した生地を販売ルートに乗せるためですね。

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