EUという組織がある。貨幣単位はユーロ。人々の行き来は自由で貨幣もユーロさえあれば加盟国のどこでも支払いはできる。

 

ある時期、筆者は円とウォンと元の三つの通貨を『全部、ん音で終わるから汎(パンまたはハン)でも作って東アジアの経済圏を作れば世界最強の通貨になるかもしれない』と妄想したことがある。しかし、ギリシャやスペインを見てみればわかるとおり、ユーロであるがゆえに様々な規制を課せられて、かえって窮屈な生き方を強いられているように見える。ドイツ経済が最強になるように仕組まれてる組織にも見える。しかし、マルクやフランやリラやゲマン(ギリシャ通貨)があって、それぞれ1マルクは何フランという複雑な貨幣単位のほうが、国の自立性から考えると最適解ではないかと思うのだ。


風が吹けば桶屋儲かるではないが、ユーロという単位で統一されているとどこかの不具合が一挙に加盟国に波及してしまう。部品1個を国にたとえると、部品1個の不具合が全部のシステムに甚大な損害を与えてしまうからだ。話が変わるが、老人の運転事故もオートマ車より昔のマニュアル車のほうが事故発生率が半分になるという。操作や仕組みは複雑なほうが、ゲートが幾つもあるほうが、事件や事故が少ないと思うがどうだろうか?


年金にしても各市町村・自治体が住民の年金台帳を管理しておいたほうが社保庁で一元化して行方不明になった番号や記載漏れは少なかったと思う。その場の便利さや効率化を目指し過ぎると、そのツケがとんでもなく大きく跳ね返ってくる。安部首相のイエスマン製造機の基本は内閣府に置かれた主要官僚たちの人事権をすべてコントロールする人事局だ。『嘘だらけ』『シュレッターで記録消し』を招いたのである。権力は一元化と相性がいい。軍隊の論理でもある。しかし、一歩間違うと国民を奈落の底へ突き落す。


組織の中に経済的な余裕のある人たち。たとえ首になっても暮らしには困らない反骨な人物を多数抱えている組織、ヘソまがり集団が一定数生きていると、組織の健全性が保たれると思うのだ。それは言いたいことが言えて、口げんか絶えない組織でもある。口げんかも年齢とともに面倒くさいとか、長いものにまかれて己の保身を図る役人の中に、少しずつ、30代を中心に役所の中で市民や国民目線で発言する人が増えてきている気がする。あなたの周りの30代の公務員と話してみるといい。同世代にたくさん、派遣や臨時雇用で苦しい生活を強いられている友人を持っているからだろうと推察する。彼らの発想力・行動力に期待したい。上司の『ああすれ、こうすれ』がストレートに伝わらなくなる世代の成長に期待したい。『どうしてなの?それをするとまずいでしょう?』。

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