TVがなくなるとどうなるかというと、自分の家なのに
旅館にでも来たような新鮮さを感じるようになります。
TVがあったときは、視線がどうしてもTVに引きつけられていたせいで
気が付かなかった部屋の様子に目が向くからです。
汚れに気がついたり、いつまにか増えていたものがあったりという具合です。

また、それまでTVをつけていた時間が、手持ち無沙汰になります。
さて、何をしようかと考えなくてはならなくなりますが、
これこそ、今までその時間、ものを考えずに過ごしていた証拠です。
また、物事を長時間考えることができるようになります。
例えば物事考えてる時、だれかが「ええっ!これは何?」と叫んだら
思わずそちらを見てしまいますが、CMの口調は「ええっ!」や
「大変!!」のようなものばかり。
ああ、CMかとわかっても、十中八九、それまで考えていた内容は
忘れてしまっています。
また、TVがなくなると室内はびっくりするほど静かです。
静かで、騒ぎ立てるものもない、考え事にうってつけの環境になります。

そうしてちょっとしたことでも自分で考えるようになると、
若い頃から疑問に思っていたことの答えがわかります。
もういい歳なのですから、これまでに問題解決に必要な情報は
頭に入っています。単に思考をまとめる時間がなかっただけだったわけです。

さて、TVを見ていた頃は、日々TVをくだらないと感じていました。
TVのくだらなさに比べ、自分はなんと高尚なのだろうと確認していたわけです。
TVがなくなると、たまに見かける番組が面白くて仕方がありません。
なぜなら自分は低俗な人間だし、お下劣が大好きだからです。
番組内容だけでなく、制作費が年々減っているのを痛感します。
それだけに、よくやってるなあと、苦労や工夫がわかるようになります。
そんなふうに、惰性で見てたころより見どころは増えるのですが、
それだけに落ち目なんだなあと、しみじみ感じます。
がんばって若作りしている往年のアイドルを見ているように
慈悲やいたわりの気持ちが湧き上がってきます。
しょせんそれだけのものなのに、なぜ日課にするほどのめり込んでいたのか
不思議で仕方がありません。

 

  1. メディアの変化。

    TVを全くなくして暮らした事はありませんが,昔はTVを中心に家族団らんの時間を多く持っていました。チャンネル争いなんて懐かしいですね。今ではリビングのTVは,たまに子供のTVゲームのモニターか,台風情報とニュースを見るだけになりました。子供たちもTVアニメ番組など見ません。勉強をしている訳ではありませんが,子供部屋の自分の机に座って,それぞれがWiFiで,使わなくなったスマホを使っています。TV前に「8時だよ全員集合!」なんて無くなりましたね。

  2. 特化チャンネル。

    TVと言えば,最近はBSやCSで映画を見るようになりました。しかし,残念なことにCMが増えた事です。それもTVショッピングなど,最も嫌いなやらせCMばかりです。CMが入れば,即,チャンネルを切り替えたり,消音にしたりと結構面倒です。特に最近思うのはCMチャンスが多すぎる事ですね。地デジの番組に見たいものは余りありませんね。放送局の経営方針なのでしょうが,ラジオも然りでショッピングのやらせCMの多さにうんざりです。音楽とか他の専門チャンネルに特化した放送などを期待できるのは,利益追求型の民放より,コミュニティFMや有線放送くらいでしょうか。

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