不運と恨み
人間は不運が避けられないものなら・・・人の恨みだけでも買わないように気をつけるべきなのだ。(116p 君主論 漫画で読破 イースト・プレス)イタリア統一を目指した野心家チェザーレ・ボルジア公(父親がローマ教皇でもある)が、最後の詰めの段階で父親はペストと自分はマラリアにかかり、さらに新ローマ教皇に逮捕される。
マキャアベリがその君主論でモデルとした指導者がチェザーレ公であったが、父親と次の教皇が激しい権力闘争をしたがゆえに、そのときの恨みが消えず、新しいローマ教皇ユリウス2世に逮捕され追放される身になってしまう現実を見て、マキャベリの嘆息が「人間は不運が避けられないものなら・・人の恨みだけは買わないように気をつけるべきなのだ」。
この場合の不運はペストに罹患したこと、人の恨みは父親のローマ教皇即位にまつわる権力闘争でボルジア本人とは直接関わらないとしても、恨みは代々続く。戦争で侵略されて、家族が皆殺しをされた人はその民族や国をいつまでも恨み続けるし、自分の子供や家族を通り魔のように殺された家族は犯人はもとより、その犯人を育てた親たちをも許せない感情にしてしまう。どんな場面でも「人の恨みを買わないように気をつけるべきだ」という観点の大事さ。
「君主論」から見ると日米・北朝鮮の首脳は3人とも「相手に恐怖感を植え付ける」ことには成功しているが(リーダー足る者は人に慕われるより恐れられることを選べ)、しかし、後代に恨みを残した。いずれ自分に乱反射の鏡に映る光線が跳ね返ってくるだろうけれど、それは自分で受け止めて欲しいものである。3人の首脳の共通は大脳細胞の硬さである、30代の北朝鮮、50代の日本、70歳のアメリカではあるが、家族以外誰も信用できない共通性がある。
ということは自信がないということでもあって、他人と関わる社会性が育つ下地がないから、生き方や話し方は一方的にならざるを得ない。それが様々な事件を起こしている背景にある。加齢社会の進捗とともに、社会脳が減退して、「お先にどうぞ」が言えなくなっている。人事でも見ていると、お先にどうぞを言える人は少ない。だからたくさんの恨みや妬みの感情が、職場に漂いながら日々の仕事をしているのだろうと推測する。「人の恨みを買わない方法は人の物を奪わないこと」(マキャベリ)
何百社という企業を長年訪ねていると、一瞥で、「この会社ヤバイ」「この会社、素晴らしい」と感じるものがある。社風は全員が醸しだすものであるからね。企業も国家もそれぞれ社員や国民・市民が雰囲気を出す。幸福感は、働きやすさであったり、手厚き福利厚生が充実していたり、簡単にクビを言い渡さない人の集団。めっきり減ってきている。企業の社内留保金だけがどんどん増えている。