釈迦産湯

釈迦が産湯を浸かったとされる池

春秋戦国

 

(フロイト)「それでは休憩も終えて2回目の会議を開きたいと思います。1回目はアイヌのシャクシャインさんから一神教への不信が語られました。孔子さんはどうお考えですか?」

(孔子)「私は、実はあなた方の言う宗教とは少し性格が違います。私の母は巫女です、父親は不詳です。当時、春秋戦国時代で、群雄割拠の戦乱の時代でした。当時周の周公の治世を理想として、それを実現するための思想運動みたいなものです。多いときで私に付いてきた人は3000人はいましたでしょうか。私があちらの国から招へいされれば移動したりしてました。だから宗教というより統治思想・家族の中での生き方、葬儀や祭り・音楽の大事さ・礼儀をわきまえるという現実主義の、まあいってみたら新興宗教団体みたいなものです。いま、私どものいる満月から中近東の砂漠地帯で発祥した一神教の渇いた大地を見てますが、神でもいないと道に迷い、渇死する気候ですね。預言者ですか、その話を聞きながら青い地球を見ているわけですが、(孔子は怪力乱神を語らずです)そこをめぐった議論をしてたわけですが、ついていけません。男女の愛ならわかりますが、見えない神をどうやって愛するのでしょうか?教えて欲しいくらいです」

(フロイト)「ここに日本の孔子研究者の白川静さの(孔子伝)の各国語翻訳本がありますので、参加者へは後でお渡しします。お読みください。では、お待ちどうさま、お釈迦様、いかがでしょうか?」

(仏陀)「私は、皆さんと違い、もともと王子です。何不自由なく育ってきました。私が生まれて7日後に母は亡くなりましたが・・・。12世紀に現れたアッシジの聖フランチェスコもフィレンツェの裕福な織物商人の家に生まれたのに似てるかもしれませんね。人が生まれて、病気にもなり、老いて、そして死ぬ。この繰り返しが人間の一生だとすると、少しでもそれを軽減させる生き方はできないかということで、悟りの道を邁進したわけです。ただ、仏教もそうですが、長い期間、その道だけで食べていく・暮らしていく僧が増えてくると、欲という業が出てきて、対立や争いが増えてくる。これは仏教でもあるし、キリスト教やユダヤ教、イスラム教においても同じではないでしょうか。僧も武器を持って、僧兵という集団をつくり、寺を守るために命がけの戦いにも入りましたが、どうも、宗教も力を持ちすぎる、宗徒が増えすぎると時の権力者から危険視されるのが、世の常かもしれません。さらに分派ということも出てきます。権力を持つと100%腐敗・堕落をしますから、それに対してカウンター宗教が出てきます。16世紀のヨーロッパのルターやカルヴァンですね。時間の経過とともに、なぜこういう分派が出てくるのか。司会をしているフロイトさん自身もあなたのお弟子さんからユングやフロムなどの精神分析学者が出てますよね。」

(フロイト)「まあ、きょうは私の話はいいので、どうでしょう?イエスさんにしてもモーセさんにしてもムハンマドさんにしても、神の預言者としておられるわけで、シャクシャインさんや孔子さんや仏陀さんの今までのお話を聞いて思うところありますか?」。

モーセとイエス、ムハンマド全員手を挙げる。

以下、次回へ。

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