ある知人と談笑していて、お金の稼ぎ方ではなくて『使い方』を親から学んでいないことを発見した。このブログは寄附についてではあるが、実は『他人の喜びは自分の喜び』になるようなお金の使い方があってもいいではないかという結論になった。小さな投資(人によって金額は違うが)の積み重ねが社会や時代を変革する可能性もあることを視野に置いての話である。インドでも小額の小口無担保融資が根付いている。そして大半、返却される。貧しい暮らしながら、返してくるのである。

寄附について(福島県相馬市の場合)

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何気なく市の広報誌を読んでいた妻が、あっと声を出した。父親の妹の子供が1000万円近くを筆者の住む市に寄贈していたのだ。東京在住で、不動産会社を設立してその創業者になっていた。ネットで調べると、電話番号や住所も出ているから『手紙でも書いたら』と言うが『お金持ちや成功者になると、急に親戚が増える』の俚諺になりたくないということで、父親の遺影の前に広報記事を切り抜いて報告をしていた。○○ちゃんは立派になったよと。


いま全国で(ふるさと納税)で(納税をした金額で地元産品をもらう)風潮である中で、自分を育ててくれた故郷に、お金だけを寄附をする話は聞いていて温かい気持ちになるものだ。ただ、寄附した後のお金の使い方を追跡することもして欲しいなと思う。私の知っている某市の保健部長が社会福祉協議会へ60歳を過ぎて天下り、筆者に嬉しそうに報告していた。ここは赤い羽根募金を集約するブランチである。赤十字もそうであるが、大雑把な収支決算報告の数字だけで、いったいこの募金をいつまでしようとするのか。町内でまた一軒500円徴収の年末行事が始まる。町内ごとに目標金額を明示されているから不思議な制度である。市会議員を1名減らせばすぐに達成する金額である。


東日本震災で福島県相馬市が津波で両親を亡くした51人の孤児遺児たち全員に大学卒業までひとり約1000万円、5億円を子供たちへ無償で与える震災孤児遺児義援金募集があった。私も2回に分けて少ないながら現金を送らせてもらったが、趣旨が明確で、市長自身の発案であった。しかも毎年、お礼の手紙と分厚い復興の報告書が郵便受けに入っている。。相馬市の保健福祉部社会福課がこの業務をしている。以下、相馬市長 立谷秀清の手紙である。(親たちに代わり)と題されてる。(相馬市長メールマガジンNO275 2013年1月3日号で全文が読めます)


平成23年4月より基金を開設した震災孤児遺児義援金は、24年12月末現在4億9千万円に達しました。お陰さまで、51人の孤児遺児の生活支援と、大学や専門学校などの学費と生活費仕送り分、また社会人として必要な自動車運転免許取得の教習所費用など、親が生きていれば子供のために頑張ったであろう、子育て教育の資金を用意することが出来る見通しが立ちました。ざっと一人1千万円と考えましたので、51人で5億1千万円を目標としましたが,戴き過ぎても申し訳ないので今年3月31日も以って、基金を閉鎖させて頂きます。もしも将来、不足が生じるようなことがあれば、私の後を継ぐ市長たちにお願いいたしたいと思っています。(中略)私がこの基金を思い立ったのは、消防団員たちのご遺体発見の知らせを次々と受けたときでした。避難誘導しながら、迫り来る巨大な津波を見た彼らが最後に何を思ったろうかと、胸が苦しくなりました。30代が主流の消防団員たちは子育て世代。父親として責任と喜びを人生の途中で奪われる彼らの無念に、言葉も出ませんでした。〈中略)今、彼らに代わって我々がしてあげられることは、18歳までの生活支援と高等教育進学などの学費と平均的な生活費の仕送りまでです。


さらに保健部福祉部から『平成23年度は51名の遺児孤児に1656万円を支給しており、平成24年度は46名を対象に1868万円を支給する予定です。〈中略)市は今後とも皆様からいただいた寄附金を活用させていただき、亡くなられた親御様に代わって遺児孤児の皆さんの学業や生活を支援してまいりますので、ご理解のほどよろしくお願いいたします。』


さらに、支給を受けた子供たちの直筆のお礼の手紙と自分たちの未来の夢が同封されてあった。寄附の動機とスタート、報告、お礼。寄附のモデルを見るような気がした。

  1. 義援金とか寄付とかは立派な行為ですね。義援金は最初から目的がハッキリしていますが、寄付などはまとまった大金を贈るわけですから、実際何に役立ったのかはご本人にもお知らせすると同時に発表した方が、後々のためにもいいですね。その結果、我も我もと寄付も増えるのではないでしょうか。一方、名前を隠して寄付する人も居ますね。それはそれで、また立派だと思います。売名行為と思われがちな寄付も匿名やこっそり寄付する洒落た人も居ますからね。いずれどんな形にせよ立派な行為だと思いますね。身銭を切って他人様の為に役立てていただこうと言う精神ですから。僕たちは大きな事は出来ませんが、身近に困った人がいれば出来る範囲で助けてあげるように心がけたいものですね。いや?こちらが助けられてしまうかも知れませんが。

    • 曖昧な寄付ならしないほうがいいとも思います。はっきりこれに使ってと指示をして、結果報告を受ける
      という習慣にしないと、金をあつかう人間にガラガラポンされてしまいます。表彰状1枚で済みますから。
      それより困ってる人にポンと差し上げるのが効果てきめんで、喜ばれますわ。これからお金の使い道に困る
      老人は、遺産をめぐるケンカ勃発を予期したら、そういうふうに使う人が多くなると思いますが。

  2. 貧乏人の発想ですが。

    お金の話となると、ちょっと大きな顔も出来ない事情が。他人様にお金で援助するほどの暮らしもしていない現状ですから、お金の話はちょっと置いておいて。誰にでも出来る人助けなどもいいのではないでしょうか。ご老人(自分も)の手助けをしてあげるとか、子供たちの安全を見守るとか、ゴミ拾いだったり、公共的なことへの参加とか、実際できる範囲での仮想通貨ではないですが、お金のように形は無いけれど「心や精神での寄付」ですね。これも立派な行為だと思いますよ。お金の力にはかなわないかも知れませんが。貧乏人の悔しい発想ですがね。

    • 基本は『助ける』ですね。『掠め取る』ではないです。金の寄付をできる人はする、肉体労働できる人は
      する、声かける人は声かける、普通の人の行為を続けてという話になりますが、それを忘れているだけで
      、社会の底が抜けているのが現代です。

  3. お金の出所。

    上手に寄付や助成金を利用している人も居ます。競艇や競輪の財団から業務用車両をタダでいただき活用している、介護施設経営者や国や道や市から助成金を受けて、いろんな事業を展開している人などいろいろです。ギャンブルや税金からのおこぼれですが上手に利用している人たちも多いですね。

    • 社会福祉協議会に天下った、前職某市保健部長は喜んでいましたね。また雇用がつながったと、赤十字の募金集め
      ですか。事務所経費が募金から出ていたとしたら、彼らの給与も負担しているのですね。

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