中学を卒業して50年を超えた。札幌の東区の中学で、北側には苗穂刑務所(ここは死刑を執行できる)もあり、マラソン大会は刑務所をぐるっと回る。筆者のプロフィールには私の育った苗穂という札幌では珍しい工場地帯、それも食品や旧国鉄のアパートや官舎が並ぶ下町について書いている。お金持ちは筆者の知る範囲ではおらず、貧しいながら楽しい中学時代で、イジメもなかった(私の知らないところであったかもしれないが)。

1クラス50人が8クラスで私は3年間、放送専門委員をしていて、朝にはクラシック音楽を、昼休みにはNHKの第二放送番組を流し、体育館で毎週する朝礼ではマイクを設定して、すぐに放送室に戻り、整列する義務がないのが特権であった。このときは、集団行動が嫌いな面々が集まるからおかしい。雪印乳業本社、サッポロビール工場、福山醸造、宝焼酎、フルヤ製菓、帝国製麻(亜麻でロープなど繊維をつくる)たくさんのパン工場やお菓子工場、鉄鋼所もあったし、なんといっても莫大な労働者を有する国鉄苗穂工場や機関区があった。

中学時代は、したがって元国鉄の職員の子弟が私を含めて半分はいた。そういう意味で札幌では特殊なエリア。いまも苗穂を車で走るとその面影がある。そういう共通なバックグラウンドで育った中学の3年2組が担任(87歳になる)を入れて2年に1回クラス会を開催する。お互いの親や兄弟も知っているし、米軍基地が千歳市にあって、米軍兵士と母親との間に生まれ、祖母に育てられたハーフの子がふたりいた。クラス会が今日まで続いてきたのは、美容師になったその女性が同級生を大事に大事にしてきたお蔭である。

毎回20人前後が集まる。独身ももちろんいるし、離婚&再婚もいるし、シングルマザーもいる。孫の写真を見せ合う人もいれば、大家族の写真を自慢する人もいる。旦那をガンで亡くした人もいれば、自身がガンから生還してきた女性もいる。様々だ。この集団には個人情報保護法が通用しない世界、そこがいい。タイムスリップする。アナログ満載の世界だ。カッコつけてもすぐにばれてしまうところがいい。離婚して20歳も若い女性と再婚して子どもをつくり男から羨望のまなざしで見られた男が『何、言っている!死ぬまで働く羽目になってしまった』と笑っていた。倒産寸前だった建設会社の社長は『阪神淡路大震災のおかげで、被害者には申し訳ないが、会社が息を吹き返した』と帰りは奥様運転の真っ白なレクサスハイブリッドで帰っていった。50年という月日で変わるもの変わらぬものを実感する日である。今度は9月に開催される。

  1. マドンナたちのララバイ。

    中学の同窓会ですか、随分長い間続いているんですね。僕も昨年まではお誘いがあったのですが、北陸での開催がほとんどで、今も仕事を持っているので、行きたいと思いながらも行けません。大阪にいたころには近かったので、一度参加しました。あの頃は皆んなも未だ面影があったのですが、今ではすっかり変わっていて、写真を送られてきても、あの当時のマドンナさえも誰だかわかりません。自分の事は棚に上げてますがね。

    • マドンナも三段腹を見ると会わない方が良かったと思うことがありましたが、人のことはいえません。毛もなくなり
      肌艶もなくなり、皺の多い顔。人として会うしかありません。

  2. 同窓会はまとめる人が居なければできませんね。僕の場合は故郷の町で洋服店を経営しているクラスメイトが世話を焼いてくれます。サラリーマンは貧乏暇なしで、ありがたい事に、自営業の人たちは、熱心に連絡係をかって出てくれてますね。同窓会案内の手紙や、電話があると、欠席でもうれしいものですね。ご無沙汰しているのに、忘れられていないわけですからね。

  3. お昼休みの使者

    50年経っても20人集まるとは、つよい絆ですね。50年も経てば皆さん酸いも甘いも知っているのでしょうが、そういう方は年齢に関係なく人間味があり魅力的です。

    • 20人を超える勢いです。でも集まる人はなんとなく現在、幸せを享受、または独身の自由人ですかね。

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