私が思う、いい男たち。
毎日、車で40分走って妻の入院する病院へ行く途中、決まった場所でおじいさんが自転車を街路樹に立てかけて、鎌で道路淵の草狩りをしている、3日間で片道200メートルに達している。もくもくと一人で作業をして、進むと自転車を動かす。筆者は向かい側の道路に車を止めて20分くらい観察していた。雑草を入れる大きなビニール袋も持参している。それを自転車に積んで肥料として使うのかもしれない。
私の住む団地にも誰から褒められるわけでなくて、ひとり暮らしの足の悪いおばあさんの家の除雪をしている人や小学生を自宅前で見守る人たち(多くは男たち)がずいぶんいる。ボランティアをするために除排雪用品一式と小型トラックを買ってる人もいる。すべて自腹で、お礼をしようものなら怒る。『お金のためにしているのではない』。ある日、知らないおばあさんが自転車で私の家に止まり『お金は幾らでも出すので、誰か芝刈りや除雪をしてくれる人を知りませんか?』と尋ねてきた。さっそく私はおばあさんをボランティアのおじさんのところへ連れていった。そして芝刈り道具を用意して再度訪問。庭全部をきれいにして、金銭受け取らず帰ってきた。おばあさんとの会話が面倒なので、その仕事は別な仲間に譲ったらしいが、その人とは金銭授受をしている。
公園の空き缶拾いを犬の散歩と一緒にしているおじさんもいる。クレーマーのおじさんがたくさんいる中で、いい男たちもたくさんいることだけは覚えておいて欲しい。年代的に60代から70代だ。しかし、気づくのは、こういう個人的な無償な活動に女性が少ないことだ。やはり女性はまず損得勘定から始まるのだろうか?町内の役員で義務的に横断歩道の信号機前に手旗を振るPTAや町内防犯委員はいるが、何の得もない、むしろやるだけ疲れて損をする活動に女性は不向きなのかもしれないと思った。しかし、子供向けの読み聞かせの会を30年続けている婦人もいるから一概に損得だけではなくて、好きな世界なら女性も相手が喜ぶことをするのだろう。突然、むしゃくしゃして刃物を振り回したり、夜に女性を襲ったり、ココロ寒くなる事件の多い中、さわやかな人もまだまだいることを伝えたい。50年前の話で恐縮だが、大学の入学式で学長が『君たちが大学生活を送るために税金がどれほど使われてるのか考えてみてくれ。卒業したら、税金を払ってくれた人たちへ恩返しをするような生き方をしてくれ』と念頭に挨拶された。当時の学費は1か月1000円。たったの1000円で幼稚園の学費より安かったのである。以降、3000円→9000円となり現在は57万円にはなったが、私たちの世代が果たして当時の税金を払ってくれた国民へたくさん還元をできたかどうか、胸に手を当てて、生き方を少し困ってる人へ還元する人生に転換できないか。
いい男の条件はそういったところにあるのだと思う。誰にも宣言はせず、黙って男は人を助け、叫ばず去っていくこと。
昔、昔の少年。
父がそんなことをやっていました。田舎の皆さんは野良仕事や山仕事をしていました。疎開で故郷に戻った我が家でしたが、田舎の人に比べれば小柄で非力な父でしたから、野良仕事も山仕事も、趣味の多さも手伝ってか他人様の半分しかできませんでした。しかし、今で言うボランティアを黙々とやっていました。村の道端の草刈りは父が一人でやっていました。桜の植樹も父が一人でやっていました。酒も呑まず、タバコも吸わず、自慢話はせず、恩に着せず、ただ黙々と気づいた事をやっていました。父も亡くなり村人たちの記憶からも消えていると思いますが、川辺に父が植えた桜は、今も春になると満開に咲き誇ります。誰が植えた桜かを知っているのは、多分、中学で田舎を離れた息子の僕くらいではないでしょうか。
seto
素晴らしい仕事ですね。雪国でいえば駅までの深い雪を踏み固めて、次の人が安心して歩けるように道をつける人も
います。子供のころから親が教えるようにしたいものです。私は最近、札幌中心部で缶やビニール袋を見ると拾うように
しています。それをコンビニのゴミ箱に捨てています。綺麗な道路や歩道がさらに綺麗になります。自分の机や部屋は
汚いのに外ばかりきれいにしてます。庭仕事のせいでしょうか?家族の中でもお金に汚い生き方を度が過ぎて親がすると
いずれ子どもに影響を与えるようなものですね。
大きな親切。
ボランティアはなかなかできませんね。つい、自分の事を優先してしまうからでしょうね。自分より他人のことを思いやりサポートできる度量が羨ましいですね。今の僕にできていることは小さな親切程度ですね。小さな親切大きなお世話なんて言われない程度ですけどね。もっともっと大きな親切もしなければいけませんね。
seto
駅前の中心部でたった1個のゴミを拾うのに最初は勇気が要りましたが、だんだん慣れてくると拾うのが気持ちよくなり
ました。コツはニコニコして笑顔で拾うことです。決して落とした他人を憎んではいけないことです。
北陸の想い出。
北陸の積雪3mにもなる豪雪地帯でしたからブルドーザもお手上げですから冬はバスも動きません。中学までは夏場なら40分から50分で歩けますし、自転車なら飛ばして20分程度でもいけますが、冬には誰も通っていない深雪を腰までつかって一歩一歩前進します。一番先に道をつけた時は気分爽快です。学校に着く前に手前にある小学校で剣道の寒稽古をして、また一汗かいてから着替えて中学に行きました。考えてみれば剣道の先生はその小学校の先生と新聞社の地方記者をやっていらっしゃった社会人の二人でした。つまり無償ボランティアです。やがて高校生たちや同学年の不良少年まで入部してきました。早朝から、それも仕事に出かける前の貴重な1時間ほどを無償で指導していただいた訳です。
seto
たぶん、当時はボランティアという単語もなのくて、あたりまえのようにやっていた地域社会が息づいていたのだと
思います。お互い様です。私の住む団地にはそれがところどころ息づいています。ありがたいことです。
匿名
卒業式シーズンになると不良少年たちが学校を恨んで投石で後者の窓ガラスを割る事件が頻繁に起きました。そんな時、用務員のオジサンは黙々とガラスを張り替えていました。次の日にもガラスは、また割られましたが、用務員さんは、また黙々とガラスを張り替えました。その後、なぜか?校舎の窓ガラスは割られなく成りました。きっと不良少年たちが用務員さんが修理している背中を見たのでしょうね
seto
そういうことですね。ガラスを割った少年に良心みたいなものが残っていた証拠ですね。トンボやカエルを殺した
少年時代があって、いまは殺さない。生物の研究でもしない限り解剖もしません。「戦争は絶対してはいけない」と
たくさんの戦争経験者が言うのと似てるかもしれません。現場を知らない観念のおばけ(安倍)たちが叫んでいるだ
けだから、地球はおかしくなります。SNSも観念と映像で、現場ではありませんから怖いです。
お昼休みの使者
今朝のことです。通勤途中の道路に小学6年生くらいの女の子が、大きなビニールとゴミ取り用のハサミをもって歩いていました。そこは住宅街の横道で朝はサラリーマンが多くいるのですが、このご時勢に歩きタバコをし、中には吸殻を落としていく無頼漢もいるのです。子どもたちは学校へ行く時間でしたが、この女の子は道を丁寧に見渡していて、袋には小さな吸殻が入っているだけでした。いろいろな背景を想像できたのですが、とにもかくにも私はこの少女に心を打たれてしまいました。
理由は分かりませんが、「無償の行為」は人間を変える力があると思いました。その朝に開いた記事がこちらでしたので、偶然に感謝して、爽やかな心持ちでいたいと思います。
seto
何でも黙ってする行為、しかも周りをさわやかにする習慣はなかなか得がたいものですね。私は喋りすぎで、家族からも
会社からも煙たがられていますよ。