大通り10丁目、どんぐり拾い。寺田寅彦。
大通り10丁目、どんぐり拾い。
10月の昼休み、大通り10丁目でベビーカーを押しながらお母さんが3歳くらいの男の子と下を向いて盛んに芝生のあちこちでどんぐり拾いをしていた。10丁目のどんぐりの木は背が高くて、落ちる勢いでどんぐりの帽子が着地と同時に外れてしまう。歩道に落ちたどんぐりはアスファルトにいったんぶつかるので帽子付きは皆無に等しく、歩行者に踏まれたり、ひどいのになると道路にまで転がって車のタイヤにつぶされて無残である。そうした中、お母さんは「もう帰るよ」と言っても、背が低く目線も低い坊やは探すのを止めない。しばらくお母さんはじっと終わるのを待っていたら、坊やはお母さんにどんぐりを渡していた。それを見てお母さんは感心して、子供の頭を3回撫でていた。撫でられて嬉しそうな坊や。それだけの光景なのだが、私は青信号で向こうへ渡ることもせず変なおじさんでじっと見ないふりをしながら見ていた。大人も子供もどんぐり拾いは楽しいが、優しいお母さんの目や子供の嬉し顔はこころ和むものがある。物理学者寺田寅彦随筆集「岩波文庫」の第一巻に「どんぐり」という名随筆がある。私はこの随筆と重ねあわせていたのだろう。文体や文章を味わわないと伝わらないのが随筆だが、ストーリーは奥さんが肺病にかかり闘病をしているが、ある風のない暖かい日に植物園に散歩に行く。奥さんのお腹には赤ん坊が宿っていた。いつもよりオシャレをして出かけるのでなかなか家から出てこない。植物園に入り、静けさに包まれる。子供の姿を見かけて、細君は「あんな女の子がほしいわね」といつにもないことを言う。「おや、どんぐりが」と細君はどんぐりを見つけて落ち葉の中に入っていく。帯の中からハンカチを取り出すも、それでも足りなくて、自分のハンカチまでどんぐりでいっぱいにした。最後は原文を借りる。「どんぐりを拾って喜んだ妻も今はいない。お墓の土には苔の花がなんべんか咲いた。山にはどんぐりも落ちれば、ヒヨドリの鳴く音に落ち葉が降る。ことしの2月、あけて六つになる忘れ形見のみつ坊をつれて、この植物園へ遊びに来て、昔ながらのどんぐりを拾わせた。こんな些細な事にまで、遺伝といういうようなものがあるものだが、みつ坊は非常に面白がった。五つ六つ拾うごとに、息をはずませて余のそばへ飛んで来て、余の帽子の中へ広げたハンケチへ投げ込む。だんだん得物の増していくのをのぞき込んで、頬を赤くしてうれしそうな溶けそうな顔をする。争われぬ母の面影がこの無邪気な顔のどこかのすみからチラリとのぞいて、薄れかかった記憶を呼び返す・・・・」(5p~10p)