世代の誤解。
世代の誤解。
いまアルバイトをしている会社の30代や40代の女性から私のサラリーマン時代はバブルでいい時代だったんでしょうねと羨ましがられる。前職の社内で「株をやって1000万円儲けたやつがいるとか株をやらないなんてサラリーマンではないね」とか言われたが、自分は子供の学資仕送りと住宅ローン返済で汲々の筆者にそんな余裕はないし、博打で儲けた金は入ってきたように出ていくという格言もあって、少し羨ましいなとは思いながら、日々の広告集稿や原稿作り、来月再来月の企画立案の検討会に時間を割いていた。酒飲まず、ゴルフせず、株はせず、ススキノ行かずではバブルは関係ない世界であるが、年齢からいって世代的にそう見えるらしい。朝から証券会社のボードに株価を見に行く社長もいて、会社全体、浮いていたとは思うが、営業職は足で稼がないといけない。新しいクライアント探しにまい進していた。疲れて喫茶店でコーヒーを飲む時間も多かったが、新聞社やテレビ局の営業の連中との雑談会である。最近、読んだ本や見た映画やときに家族のことも話して実りの多い時間を過ごしたものである。
バブルだから派手で景気が良くて、ブランドものを身に着けて、海外旅行も行き放題。接待もオーストラリアやハワイへゴルフなどもあったが、私は飛行機には乗れないパニック障害だ。かえってこの病気が派手な動きを禁じてくれたかもしれない。会社として大儲けはしていたらしくて、トマムリゾートの会員権を買ったり、北海道クラシックゴルフ場の会員権も買ったらしい。一度も利用したことはない。ゴルフ場はイモ畑にするのあ良いという持論なので、ゴルフ族を心底小ばかにしていた。無趣味の連中の時間つぶしだと。義兄がゴルフのシングルプレイヤーでアマチュアの大会の北海道代表になって、道具一式をくれたが、ガレージで錆びついたままゴミに出した。
「バブルの時代」とひとくくりにしても、その個別の様相は各人で全然違うことを知ってもらいたい。私の中学時代はビートルズ世代ともいわれるが、彼らの音楽を聴いていたのはせいぜい50人中、5人いたかどうかである。あとはグループサウンズや西郷輝彦など流行歌にはまっていた。世代論で危ういのはこういうところで、しかし、私が若い世代に30代はああだ・こうだとレッテルを貼ることにブレーキがかかる。レッテルは思考停止と同じできめ細かい現実を拾わないから注意したい。男や女、都道府県、星座、血液型、生年月日、勤め先の企業規模、親の職業などなどたくさんの指標があるけれど、それに依存した世代論だけは出さないように注意したいものである。
oldbadboy
バブル期を、現在の状態で収入だけ上がった状態だったと考えるの大間違いで、まず物価が高かった。ジーンズ一本、シャツ一枚が1万円から、という感じで、ユニクロでいいやというような選択肢はなかったです。LCCもなく、インターネットもありません。今なら地方のアルバイト生活者がしょっちゅうディズニーランドや、ご贔屓チームのアウェイ戦観戦旅行に行くことも可能ですが、当時は不可能でした。
高級品について言えば、世界の最高水準のものが集まっており、現在高級ブランドと言われるものは、当時ではせいぜい中の上くらいのランクでした。それらを身につけるには、アクセサリーや靴、車、家まで、すべて釣り合うものでないとかえっておかしいので、実際に身に付けていた人はごく少数で、そういう層は現在でも同じ程度存在するような気がします。そして、いわゆる高級ブランドを誰も彼も身に付けたのは、やや景気が後退してからのような気がします。それまでの生活レベルにしがみつく御神体のように、小学生までブランド品を身に着けていました。現在のように、ユニクロでいいやという意識になるまでには、ちょっと時間がかかったように思えます。
どこが違っていたかというと、お金を使ってもまた入ってくるという安心感だったように思います。サラリーマンなら昇給やボーナスを見込むことができ、事業者、経営者なら、儲かるのを前提に新しい事業に着手できました。現在とどちらが豊かかといえば、現在のほうがはるかに豊かで、要は気の持ちようが違っていただけだと思います。
seto
貧しさが身についての、バブルでしたから、流行りは「一点豪華」でした。そういう輩は「田舎者」といったり、成り上がり
と言って、矢沢永吉さんには悪いですが、かっこうが悪い生き方のようでした。私はなんとジーパンを穿いたのが60歳くら
いで、皆と反対の生き方を貫いていましたね。現在は、親の過保護もあって、子供は豊かそうに見えますが、実は子どもの貧困
は深刻です。シングルマザーの子供たちを含めてね。都心を歩いていると見えないところですが(引きこもりも見えないように)
家庭の内部に潜入すると、いろいろあると思います。私も甘やかして子育てをした(亭主は子育ては全然していない)口です。