見せびらかしの経済(加筆)
渡辺京二さんの『無名の人生』(文春文庫 156~157)に、ヴェブレン(経済学者)が引用されていて今の社会に見られる経済現象を(衒示の経済)(衒示とは見せびらかしの意)と命名した。富裕層は多くの贈り物をすることで自分の勢力(金や権力)を誇示した。その現象は大衆まで巻き込み大衆消費社会となり、今日まで続いている。誰もが消費することに血眼になって、消費物やサービスを受けるために金・金・金・金。出世や成功談の蔓延、自己実現や自分の才能の開花を目指すが、才能がたっぷりあっても磨く努力をしないと枯れるだけである。欲望は物がそこにあって発動する心理だ。ブランド物が何もない地域では、ブランド志向はあり得ない。必要最小限の物や事に満足していれば、現代の消費社会に飲まれることはなくて、わが道を生き切れるということでもあるが、果たして、小さなころから集団で同じような流行物に囲まれて、その話題についていかなくても平気のヘイさで『人は人、私は私』と念じながら生き続けるのは容易なことではない。
(見せびらかしの経済)とはよく言ったもので、人間が基本的に生きるために必要な水や米についてもいつのまにか水を買う、コメも銘柄で選ぶ時代になった。運動の後の水道の水をたっぷり飲んで十分美味しいし、水分補給もできるのに、スポーツドリンク飲料と命名された飲料水を買って飲む習慣(すべて習慣化すれば商機は勝ちである)に嵌る。いつのまにか、『○○は○○でないと嫌』人間を排出する羽目になってしまった。
パソコン普及のころ、MAC信者がたくさんいた。WINDOWS派をずいぶん小馬鹿にしていたと記憶する。広告制作ソフトがたくさんあって、自称少数派を自慢していたにすぎず、それを使ってどれだけ会社に貢献したかを考えると『単にMACを自慢、見せびらかしをしていた』に過ぎない。それも会社に100万円を超える本体&ソフトを買わせて威張っている。何でもアップルの最先端を追い続けている。あるときもう制作部は外注を使うからと廃部となり、営業に出されたらノイローゼ(懐かしい日本語)になり、退職願を出した。頭を下げる仕事はプライドが許さないのか。よくわからない。
『見せびらかしの経済』はどこか、他人に向かって顎を突き出してツンとする姿に見えないか?黄色いカブトムシの車、真っ赤なボルボ、黒のクラウン。好きだ嫌いだ以上に見せびらかしの心持が伝わる。育ち・学歴・企業名・肩書・収入額・グルメ。全部、それはその人の本質ではなく属性の一つに過ぎない。最近、美しく生きている人が少なくなってきた。それは顔にも所作にも出るからわかる人にはわかることである。特に男の顔にいい顔が少なくなった気もする。40歳以上の男たちである。いい男の顔って、筆者が想像する顔ってどんな顔と言われたら、ずるくない顔のことである。それ以上でも以下でもない。我慢する顔である。お前はどうだと言われたら「発展途上である」と答えることにしている。
昔の少年。
日本がアメリカナイズされて久しいですが、生活様式の変化も、消費社会も、すべてアメリカからの輸入ですね。昔は牛肉も豚肉も鶏肉も今のように頻繁に食べませんでした。コンビニなどで買い物などせず皆手作り弁当でした。コカ・コーラなどに代表される飲料水など買わずに水筒持参でした。車より自転車でした。痩せた人は大勢いましたが太った人など少なかったですね。消費と言うより使い捨て時代ですね。口先ではエコロジーをうたってはいますが。
seto
水を買うのは、フランスでは質の良くない水なので買うしかない。アメリカの西海岸も水が少ない砂漠をコロラド州から水を引いて赤茶けた乾燥地をスプリンクラーで芝で緑化させ、雨水少ないので水を買う習慣。日本はトイレに流す水、風呂と洗濯で使う水が同じで、そして水道水の美味さと安全性が世界水準の高さです。塩素をうんうん言ってますが、塩素を入れてから劇的に幼児死亡率が減り、寿命が延びたのです。CMとファッションで飲んでます。贅沢な国です。3月にココカーラ北海道工場を見学してきました。イロハスの水が清田区の水ですから、コーラよりあっさり香り付けした水が売れています。癖になってしまったものを止めるには何倍も努力が必要ですね。肉も安くなりましたが、アメリカからの肉検査は大丈夫でしょうか?わたしの勘では、騒動のときだけ検査しているフリをした画像を流しているだけ。ハンバーグも牛肉そのものも怪しいと思ってます。
坊主の孫。
田舎暮らしをすれば、本当の水の美味さや食物の美味さを体験でします。スーパーやコンビニで買った物とは違う味です。潔癖症の現代っ子には少々清潔さの面で敬遠されるかも知れませんが、本物の味にはバクテリアも沢山存在したりしますから、顕微鏡などで覗けばとても食したり飲んだりできないかも知れません。でもそれさえ気にしなければ、無料の美味しい水や食物があるのが田舎です。子供のころ飲んだ谷水や井戸水、それにその辺りにある果物など飲み放題採り放題でした。もちろんコンビニやスーパーはまだ誕生すらしていませんでしたが。ペットボトルも何もありませんから両手ですくって飲み、素手でつまんで食べました。お寿司だって、おにぎりだって素手で握るから、バクテリアと一緒に食べるから美味しいんでしょうね。人間、そんなことくらいで死にませんからね。動物たちはもっとタフですね。水の豊富な日本で水が売れるとは?信じられなかったですね。
seto
都会人のファッションですね。わたしも山歩きで沢の水を飲みました。エヒノコックスさえ気をつければ大丈夫です。父の故郷のニセコで、親戚の農家の仕事手伝い終わって,雪解け水もたくさん飲んで昼寝をしましたね。最高の夏休みでした。贅沢そのもの。人間の体そのものがバクテリヤや腸内細菌の巣ですからね。彼らがいなければ食べ物を消化しません。清潔志向強すぎるしつけを子供に親は過剰にし過ぎです。汚れに強くならないとサバイバルできないでしょう。